太宰治が死の直前に語った胸の内 「世間にこれから暮してゆくということを考えると、呆然とするだけ」

インタビュー

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太宰治が死の直前に語った胸の内 「世間にこれから暮してゆくということを考えると、呆然とするだけ」


「小説新潮」創刊第二号 写真=青木登

2021年に5周年を迎えた文豪転生シュミレーションゲーム『文豪とアルケミスト』。芥川龍之介や夏目漱石、太宰治といった文豪たちが美々しい姿で転生し、互いに協力しながら敵を倒すストーリーが人気を集め、いま若者の間で「明治~昭和の文豪」が注目されている。その中でも『人間失格』や『走れメロス』を執筆した太宰治は人気のキャラだ。

今回は無頼派といわれた太宰が、創刊間もない文芸誌「小説新潮」で語った貴重なインタビューを紹介する。玉川上水で入水自殺するその前年に、太宰が語った胸の内とは?

 * * *

生い立ちと環境

私は田舎のいわゆる金持ちと言われる家に生れました。たくさんの兄や姉がありましてその末っ子として、まず何不自由なく育ちました。その為に世間知らずの非常なはにかみやになって終いました。この私のはにかみが何か他人からみると自分がそれを誇っているように見られやしないかと気にしています。

私は殆ど他人には満足に口もきけないほどの弱い性格で、従って生活力も零に近いと自覚して、幼少より今迄すごして来ました。ですから私はむしろ厭世主義といってもいいようなもので、余り生きることに張合いを感じない。ただもう一刻も早くこの生活の恐怖から逃げ出したい。この世の中からおさらばしたいというようなことばかり、子供の頃から考えている質でした。

こういう私の性格が私を文学に志さしめた動機となったと言えるでしょう。育った家庭とか肉親とか或いは故郷という概念、そういうものがひどく抜き難く根ざしているような気がします。

私は自分の作品の中で、私の生れた家を自慢しているように思われるか知れませんが、かえって、まだ自分の家の事実の大きさよりも更に遠慮して、殆どそれは半分、いや、もっとはにかんで語っている程です。

一事が万事、なにかいつも自分がそのために人から非難せられ、仇敵視されているような、そういう恐怖感がいつも自分につきまとって居ります。そのためにわざと、最下等の生活をしてみせたり、或いはどんな汚いことにでも平気になろうと心がけたけれども、しかしまさか私は縄の帯は締められない。

それが人はやはりどこか私を思い上っていると思う第一の原因になっているようであります。けれども私に言わせれば、それが私の弱さの一番の原因なので、そのために自分の身につけているもの全部をほうり出して差上げたいような思いをしたことが幾度あったかしれません。

例えば恋愛にしても、私だってそれは女から好意を寄せられることはたまにはありますけれども、自分がそんな金持ちの子供に生れたという点で女に好意をもたれているに過ぎないというように、人から思われるのが嫌で、恋愛をさえ幾度となく自分で断念したこともあります。

現に私の兄がいま青森県の民選知事をしておりますが、そう言うことを女にひと言でも言えば、それを種に女を口説くと思われはせぬかというので、却っていつも芝居をしているように、自分をくだらなく見せるというような、殆ど愚かといってもいいくらいの努力をして生きて参りました。これは自分でももて余していて、どうにも解決のしようが未だに発見出来ません。

文壇生活?……

私がまだ東大の仏文科でまごまごしていた二十五歳の時、改造社の「文藝」という雑誌から何か短篇を書けといわれて、その時、あり合せの「逆行」という短篇を送った。それが二、三ケ月後くらいに新聞の広告に大きく名前が他の諸先輩と並んで出て、それが後日第一回芥川賞の時に候補に上げられました。

その「逆行」と殆ど前後して同人雜誌「日本浪漫派」に「道化の華」が発表されました。それが佐藤春夫先生の推奨にあずかり、その後、文学雑誌に次々と作品を発表することができました。

それで自分も文壇生活というか、小説を書いて或いは生活が出来るのではないかしらとかすかな希望をもつようになりました。それは大体年代からいうと昭和十年頃です。

省みますと、自分でははっきりと斯々の動機で文学を志したということは、判らないことで、殆ど無意識といってもいい位に、私はいつの間にやら文学の野原を歩いていたような気がするのです。気がついたらそれこそ往くも千里、帰るも千里というような、のっぴきならない文学の野原のまん中に立っていたのに気がついて、たいへん驚いたというようなところが真に近いかと思います。

先輩・好きな人達

私がおつき合いをお願いしている先輩は井伏鱒二氏一人といっていい位です。あと評論家では河上徹太郎、亀井勝一郎、この人達も「文學界」の関係から飲み友達になりました。もっと年とった方の先輩では、これは交友というのは失礼かも知れないけれど、お宅に上らせて頂いた方は佐藤先生と豊島与志雄先生です。そうして井伏さんにはとうとう現在の家内を媒酌して頂いた程、親しく願っております。

井伏さんといえば、初期の「夜ふけと梅の花」という本の諸作品は、殆ど宝石を並べたような印象を受けました。また嘉村礒多なども昔から大変えらい人だと思っています。

これは弱い性格の人間の特徴かも知れませんが、人が余り騒ぐような、また尊敬しているような作品には一応、疑惑を持つ癖があります。

明治文壇では国木田独歩の短篇は非常にうまいと思っております。

フランス文学では、十九世紀だったらばたいてい皆、バルザック、フローベル、そういう所謂大文豪に心服していなければ、なにか文人たるものの資格に欠けるというような、へんな常識があるようですけれども、私はそんな大文豪の作品は、本当はあまり読んで好きじゃないのです。却ってミュッセ、ドーデー、あの辺の作家をひそかに愛読しております。ロシアではトルストイ、ドストエフスキーなど、やはりみな、それに感心しなければ、文人の資格に欠けるというようなことが常識になっていて、それは確かにそういうものなのでしょうけれども、やはり自分はチェーホフとか、誰よりもロシアではプーシュキン一人といってもいい位に傾倒しています。

私は変人に非ず

先月号の小説新潮の、文壇「話の泉」の会で、私は変人だと言うことになっているし、なにか縄帯でも締めているように思われている。また私の小説もただ風変りで珍らしい位に言われてきて、私はひそかに憂鬱な気持になっていたのです。世の中から変人とか奇人などといわれている人間は、案外気の弱い度胸のない、そういう人が自分を護るための擬装をしているのが多いのではないかと思われます。やはり生活に対して自信のなさから出ているのではないでしょうか。

私は自分を変人とも、変った男だとも思ったことはなく、きわめて当り前の、また旧い道徳などにも非常にこだわる質の男です。それなのに、私が道徳など全然無視しているように思っている人が多いようですが、事実は全くその反対だ。

けれども、私は前にも言ったように、弱い性格なのでその弱さというものだけは認めなければならないと思っているのです。また人と議論することも私にはできない、これも自分の弱さといってもいいけれども、何か自分のキリスト主義みたいなものも多少含まれているような気がするのです。

キリスト主義といえば、私はいまそれこそ文字通りのあばら家に住んでいます。私だってそれは人並の家に住みたいとは思っています。子供も可哀そうだと思うこともあります。けれども私にはどうしてもいい家に住めないのです。それはプロレタリア意識とか、プロレタリアイデオロギーとか、そんなものから教えられたものでなく、キリストの汝等己を愛する如く隣人を愛せよという言葉をへんに頑固に思いこんでしまっているらしい。しかし己を愛する如く隣人を愛するということは、とてもやり切れるものではないと、この頃つくづく考えてきました。人間はみな同じものだ。そういう思想はただ人を自殺にかり立てるだけのものではないでしょうか。

キリストの己を愛するが如く汝の隣人を愛せよという言葉を、私はきっと違った解釈をしているのではなかろうか。あれはもっと別な意味があるのではなかろうか。そう考えた時、己を愛するが如くという言葉が思い出される。やはり己も愛さなければいけない。己を嫌って、或いは己を虐げて人を愛するのでは、自殺よりほかはないのが当然だということを、かすかに気がついてきましたが、然しそれはただ理窟です。自分の世の中の人に対する感情はやはりいつもはにかみで、背の丈を二寸くらい低くして歩いていなければいけないような実感をもって生きてきました。こんなところにも、私の文学の根拠があるような気がするのです。

また私は社会主義というものはやはり正しいものだという実感をもって居ります。そうしていま社会主義の世の中にやっとなったようで、片山総理などが日本の大将になったということは、やはり嬉しいことではないかと思いながらも、私は昔と同じように、いや或いは昔以上に荒んだ生活をしなければならん。この自分の不幸を思うと、もう自分に幸福というものは一生ないのかと、それはセンチメンタルな気持ちでなく、何だかいやに明瞭にわかってきたようにこの頃感じます。

あれ、これと考え出すと私は酒を飲まずにおられなくなります。酒によって自分の文学観や作品が左右されるとは思いませんが、ただ酒は私の生活を非常にゆすぶっている。前にも申しましたように人と会っても満足に話が出来ず、後であれを言えばよかった。こうも言えばよかったなどと口惜しく思います。いつも人と会うときには殆どぐらぐら眩暈をして、話をしていなければならんような性格なので、つい酒を飲むことになる。それで健康を害し、或いは経済の破綻などもしばしばあって、家庭はいつも貧寒の趣きを呈しております。寝てからいろいろその改善を企図することもあるけれども、これはどうにも死ななきゃ直らないというような程度に迄なっているようです。

私も、もう三十九になりますが、世間にこれから暮してゆくということを考えると、呆然とするだけで、まだ何の自信もありません。だから、そういういわば弱虫が、妻子を養ってゆくということは、むしろ悲惨といってもいいのではないかと思うこともあります。(在文責記者)

編集部注:旧字、旧仮名遣いは適宜常用漢字、現代仮名遣いに直し、表記を整えました。

新潮社 小説新潮
2022年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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