つげ義春がフランスに行くまでの紆余曲折を同行した編集者が明かす 「出発当日まで本当に行くか半信半疑だった」

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

予測不能な人のバーチャルミュージアム

[レビュアー] 浅川満寛(編集者)


つげ義春さん。パリ、ポン・ヌフにて。撮影=高村佳園

メディアでの露出を嫌い、人前に出ることも避けてきたつげ義春。近年は地元を離れることさえまずなかった孤高の漫画家が82歳でフランスに旅立った理由とは?

今回その全旅程を記録した書籍『つげ義春 名作原画とフランス紀行』の刊行に携わった浅川満寛さんが、フランスに旅立つまでの紆余曲折を明かした。

 ***

「たった今帰ったところです」

 2017年6月、日本漫画家協会賞の大賞を受賞したのに、贈賞式当日に蒸発。いなくなってからちょうど1週間が経ち、そろそろ戻るかとご自宅に電話したときの第一声。

 息子の正助さんも心配したし、いくら人前が苦手とはいえ、イイ大人が蒸発はないでしょ蒸発は。「どこ行ってたんですか一体?」つい詰問口調になる。

「○○駅まで行ってね、ビジネスホテルに泊まって……あのへん何もないし、テレビ見たり新聞読んだりゴロゴロしてました。都心と比べると喫茶店も安いね」

 いや今コーヒーの値段はどうでもいいんです。黙っていなくなるのは良くない。するとつげさん意外そうに「いや、僕はわりと昔から、嫌なことからは逃げるんです」。

 私が間違ってました……。開き直りとも違ってそもそもまったく悪びれてないというかなんというか、やっぱりこの先生に当たり前な説教すること自体無粋だったかも。

 そんな人がまさか3年後、フランスに飛ぶなんて!

 海外でのつげ義春作品の翻訳出版が本格化したのは2015年から。それまでもオファーはあり、2000年代から海外に劇画を紹介する仕事を始めていた私の元にも話はたくさん来たのだが、本人の「めんどくさい」という理由でいつも断られていた。一転許可するようになったのは、オファーが増え、逆に断るのがめんどくさくなったかららしい。こういう気分の変化は事前に読めないので本当に苦労する……。いずれにしてもそのおかげで2019年仏語版、2020年英語版それぞれ全7巻の全集刊行が始まり、ようやく各国語でつげ作品が読める状況になった。アングレーム国際漫画祭での原画展企画が動き出したのもそうした変化に合わせたもので、仏語版の編集を自分が担当した関係で最初フランス側から「実現の可能性がわずかでもあるか?」と打診を受けたときには「まずないだろう」と答えた。国内でさえ実現していないのに、海外での展示を許可するはずがない。しかし念のため正助さんに聞いてもらうと、「父は意外と前向きでした」との返事。またすぐ気が変わるのでは……といういつもの不安はあったものの、本人が前向きなら今のうちに進めるしかない。担当者が何度も来日して打ち合わせ、その後原画も引渡して、最終的に本人も渡仏する流れになったわけである。

 出発当日まで本当に行くか半信半疑ではあったが、朝一番から羽田空港で待っていると正助さんから「今父とタクシーで向かっています」とのメール。空港に着くやいなや出発ロビーへ案内し飛行機へ……。そんなこんなで始まった4泊6日のフランス珍道中を記録した私の同行記に、滞在中の正助さんの談話、帰国後のつげさんインタビューも収録されたこの本、さらに代表作7編が全頁原画で読めるいわば「バーチャルミュージアム」仕様。

 60年代の「ガロ」に発表された作品はスクリーントーンが使用されていないかわりに、作者自身により青鉛筆または青インクでアミ版の製版指定がされている。「海辺の叙景」では濃淡二種類の青の使い分けによる薄アミ、濃アミ掛け合わせ指定がある。この指定に忠実に印刷されているのは製版職人の技術がぎりぎり残っていた60年代までで、70年代以降に出版された単行本の多くはアミかけ部分が簡略化もしくは省略されているため作者本人の意向を十分に反映した作品集とはいえないのである。「ほんやら洞のべんさん」も同様で、ぼかしや白抜きを使った様々な雪の描写は当時の職人仕事が加わることではじめて作品として完成する。経年による退色で指定自体消えかかっているが、原画に含まれる情報量はとにかくハンパない。また、つげ作品には初出時と単行本収録時で一部絵を描き換えている作品もあり、今回収録の「やなぎ屋主人」では原稿の状態をカラーで忠実に再現したことで切り貼りやホワイトでの描き直し部分がはっきりわかる。マンガを「読む」という通常の楽しみ方とは異なる新たな発見があるはずだ。

 文章部分では、渡仏前年の2019年、全集刊行開始にあわせてフランスのフリーペーパー「ZOOM JAPON」つげ義春特集号に掲載されたインタビューの本邦初訳も収録されている。海外メディア初のインタビューであり、最近の生活ぶりや水木プロでのエピソードも語られている。

 つげさんが帰国した直後に始まった新型コロナのパンデミックは今も完全に収束していない。渡仏が実現したのはたまたま幸運な偶然が重なっただけ……正直いまだにどこか現実感がない。あれから2年、日本芸術院会員に選出までされてしまうと、現実の向かう先がいよいよ読めなくなってきた。もしかして……今後大規模な「つげ義春展」が日本国内でも開催されることもあるかも? なにしろ注目されるのが嫌いなはずなのに、今回の本はカバーが本人の写真である。作品同様予測不能で常に周囲をあっといわせるのを「演出」と捉える向きもあるようだが、この先生じつは根っからのエンターテイナーなのでは。澄ました表情がどことなくいたずらっぽく見えてくる……。

新潮社 波
2022年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク