『夏』
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分断を生む斥力に抗う力
[レビュアー] 江南亜美子(書評家)
江南亜美子・評「分断を生む斥力に抗う力」
線が引かれて分断ができ、対立構造がつくられる。AかBか、その二項のどちらかにつくしか手はないように感じさせられる。分断には憎悪がつきもので、憎悪の炎にはいつでもどこからか薪がくべられ続ける。こうしたことは、現代を生きる私たちにおなじみの光景になりつつある。EU離脱、移民排斥、ヘイトクライム、パンデミック、男性女性、そして戦争……。しかしアリ・スミスは、『秋』で始まり、『冬』『春』そして『夏』にて完結した四部作の物語において、分断状況に慣れてしまってはいけない、無関心を自らの内に涵養してはならず、乗り越えていかなくちゃならないと、くりかえしメッセージを発してきた。
でもどうやって? さしあたって、物語の力を信じることによって、というのがその答えとなる。
『夏』は2020年、新型コロナウイルスが流行しだした頃から物語が始まる。16歳のサシャは環境問題に熱心で、グレタ・トゥーンベリをカリスマと仰ぐ。弟は13歳のロバート。賢い子だが日本でよくいわれるところの「中二病」的な屈折があり、姉を陥れてけがをさせるなど悪魔的存在だ。グレースはそんな生意気盛りの二人の子に手を焼きつつ、別れた夫がすぐ隣の家に新しい妻と住まうことに寛容であろうとしている。
グレース一家は、サシャのけがをきっかけに『冬』で描かれるアートとシャーロットというカップルと出会う。これからサフォークへ、アートの亡き母ソフィアの遺言にしたがって、昔の知り合いにあるものを渡す旅に出るのだという。ロバートの突然の提案で、それは五人そろっての旅となる。
珍道中のあいまに差し挟まれるのは、『秋』で長く昏睡状態であったダニエル老人の妹ハンナの物語だ。ユダヤ系で、ドイツとイギリスの血を引く彼女は、兄と父が敵性外国人収容所に収監されていた間も、別名を使ってサバイブしようとした。その波乱に満ちた人生は、実在した女性映画監督であるロレンツァ・マッツェッティの苛酷な運命とも重ね合わされていく。兄と妹は遠く離れて書簡を、物理的に難しければ空想上で交換し、互いを思い遣る。おろかな戦争により引き裂かれた兄妹の思念が、のちに奇跡的な結びつきをひきよせることを、アリ・スミスは確信犯的に描いた。小説は祝祭的なムードに満たされる。
アートとシャーロットの目的の人物はダニエル老人だとわかり、『秋』で彼のそばにいて献身的な看病をしてきたエリサベスともこうして接点ができる。サシャは、『春』に登場するベトナム難民へ手紙を書き続ける。サフォークの近郊で、グレースはかつて女優時代に『冬物語』を公演したこと、その日知り合った男との短くも完璧に幸福な一日のことを思い出す。彼は、建物の構造でもっとも大事な大梁もサマーと呼ばれるのだと語った。「私たちは夏に対して他の季節よりも多くのものを背負わせるでしょ」「夏はその重みに耐える。だからサマーって呼ばれる」。こうした在りし日の回想により、孤独を抱えた彼女の気持ちはほぐされていく。
四部作を通じ、ここまでばらばらに描かれてきたエピソードの断片のすべてが、気持ちよくぴたりぴたりとパズルのようにはまっていくのがこの『夏』である。この人物がまさかこことつながるとは、といった具合に。それは偶然の姿をした必然だ。人間の営みのながい歴史には、人のささやかな叡智では計り知れない神の差配があり、その出会いがつぎの歴史を動かしているのだと、四部作は私たち読者に語りかけるのだ。
このとき、(『秋』で)ダニエルがエリサベスに幾度となく尋ねたフレーズが、またきらめきをもって甦るのだ。「何を読んでいるのかな?」。何かを読むことは不断の行為であるといい、いつでも何かを読んでいなくちゃ駄目だと、ダニエルはエリサベスに、そして私たちにアドバイスする。「じゃないと、世界を読むなんて不可能だろう?」
分断の企図こそ統治側の思うつぼと見抜き、そうした人為的に作り出された斥力に流されない胆力をやしなうこと。歴史の大局を信じること。『夏』にくりかえし登場したアマツバメの飛来のモチーフのように、何千キロ何万キロと休まず倦まず飛び続けるべく、つねにウォーミングアップをし、断絶を超越する力を蓄えること。アリ・スミスの四部作はもちろん苦さも痛みもあるが、どこか風に吹かれるような、他になかなか類を見ない爽快感が味わえる。私たちの四季はまだまだ続く。物語もまた続いていくのだ。