萩原聖人、11年間、「宇宙」を読んでいます。 NHK「コズミックフロント」制作班、緑慎也『太陽系の謎を解く 惑星たちの新しい履歴書』

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萩原聖人、11年間、「宇宙」を読んでいます。

[レビュアー] 萩原聖人(俳優)

萩原聖人・評「萩原聖人、11年間、「宇宙」を読んでいます。」

 のっけから妙なタイトルをつけてしまったけど、もちろん怪しげな宗教にハマった芸能人の話でもなければ、「読んでいるのは上家の手牌だろう」という麻雀的ツッコミも、この際脇に措いておこう。ここから先は大変マジメな話になるから、まずは厳密に言うことにする。

「僕、萩原聖人はNHKのBSプレミアムの『コズミックフロント』のナレーションを11年間続けています。」

 最近はテレビを見ない人も多いというから、「コズミックフロント?」と言われるかもしれないけど、これはNHKがBSプレミアムを始めて以来ずっと続けている科学番組。名前の通り、“宇宙研究の最前線”を毎週、様々な角度から伝えている。そんな番組のナレーションを、僕はスタートから今に至るまでずっとさせてもらっているのだ。

 ナレーションの収録はだいたい月に2、3回行われる。収録の3、4日前に台本と映像のDVDが届いて、それを開くところから仕事は始まるのだけど、その作業は楽しみでありつつも、実は恐怖の一瞬でもある。なぜならNHKの優秀なスタッフが総力かけて制作した結果なのだから、その内容たるや大変な密度。ごく身近な天体観測の話もあれば、厄介な宇宙物理もあるから理解するだけでひと苦労だ。しかも大変な思いをしながら世界中を飛び回って取材しているのも知っているから、上手く伝えられなかったらどうしよう――。あれこれ考えるほどに受けるプレッシャーは、ハンパじゃない。

 でも、本当に怖いのは、実は番組の主役だったりもする。すなわち「宇宙」そのもの。

 宇宙って、知れば知るほど、考えれば考えるほど怖くなったりしませんか? そこでは生身の人間が生きていけないというのは当然のことだけど、調べても調べても永遠に謎が続く、決して手に触れることのない世界。子供の頃に抱いた「この広い宇宙に地球人だけ?」という言い知れない不安感、孤独感も、知識や情報が増えるほどに一層深まって来る、いわく言いがたい感覚。

 でも、そんな不安感も、捉えようによってはワクワク感に変わるのが宇宙の魅力でもある。例えば、現在、地球外生命体がかなりの確率で存在することが分かりつつあるのもその一つで、僕のお気に入りの星、土星の衛星エンケラドスの話もそれにあたる。

 NASAが20年かけて送り込んだ探査機カッシーニが明らかにしたエンケラドスの表面にはタイガーストライプという縞模様の裂け目があって、そこから氷の粒が噴出している。これだけでも十分にワクワクするのだけど、氷の素となる液体には有機物が含まれているという。冷たくて無機質だった宇宙が、途端に色彩を帯びてくる。

 さらに言えば、誰もが知る土星という主役を、衛星という脇役が見事に食ってしまうという展開も、役者視点から見て、実はちょっと興味深かったりもする。

 で、そんな話を、僕は11年、ずっとナレーションで語ってきたのだけど、自分が語ってきたものが今回本になったというので、ずいぶん驚いた。

 だって、映像あってのテレビでしょ。しかも凝りに凝りまくった精緻な映像がコズミックフロントの真骨頂。それを文字と少しの写真で、どれだけ表現できるのかって、正直、疑っていた。でも、読み始めると、そんな疑いはサラリと晴れて、役者の性というのかな、気が付いたら声に出して読んでいた。エンケラドスのところなんて、引き込まれっぱなしで、だから改めて思ったのだ。「やっぱり、言葉ってすげえや」「宇宙ってすげえや」と。

 僕は役者をさせてもらいながら、声の仕事も結構している。よく知られたもので言えば、『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンだったり、『闘牌伝説アカギ』のアカギ役だったり。でも、こういったドラマやアニメの声の仕事と比べると、コズミックフロントのナレーションはちょっと違う。

 海外ドラマの吹き替えにせよ、アニメのアフレコにせよ、役を演ずるときはやっぱり演じなければならないけど、コズミックの場合は演ずるのではなく伝えることが一番の課題。そこに俳優萩原聖人は存在してはならず、主役である「宇宙」をいかに言葉で分かり易く伝えるか。つまりは黒子になり切れるかが勝負となってくるのだ――。

 と、言い始めるとエラそうな演技論になりそうなので、早々に切り上げるけど、そもそものところ、聞くだけで不安になるくらいの壮大なドラマを見事に演じてきた宇宙に、役者として張り合うこと自体、無理な話なのかもしれない。

 映像、音声、文字……人類が生み出した、どんな表現方法を用いても、伝えられる宇宙の物語は、針の先にも満たない、ほんの一部だろう。でも、針の先でも、いろんな方法を積み重ねれば、もしかしたら楊枝の先ぐらいにはなるかもしれないし、繰り返せば、竹串の先になるかもしれない。今回、本になった「コズミックフロント」を読みながらそんなことを思っていたら、机の上には、まだ開けていない次の収録の台本が……! 僕の宇宙を巡るあれやこれやの物語は、まだまだ続きそうだ。

新潮社 波
2022年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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