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豊臣秀吉と千利休 権力者と芸術家の危ういバランスを描く3作
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
豊臣秀吉と千利休との関係を書いた作品で、まず第一に指を折るのは海音寺潮五郎の『茶道太閤記』(文春文庫)であろう。この作品は、作者が第三回直木賞を受賞した『天正女合戦』のテーマを発展継承させたもので、題名に“茶道”の二文字があるように、二人の確執にスポットをあて、数々の後続作品、すなわち、権力者対芸術家という図式を打ち出した野上彌生子の『秀吉と利休』(中公文庫)等に多大な影響を及ぼした作品として特筆される。
海音寺作品では、利休が秀吉の朝鮮出兵を批判したために切腹させられる件等、昭和十六年という作品発表時の時局に対する鋭い批判が込められている点も見逃せない。作者の剛直さを思うべきであろう。
そして、令和の世になってこれらの作品に勝るとも劣らない傑作が誕生した。伊東潤の『茶聖』(上下巻)である。
茶室をたった二畳の戦場としたこの作品は、従来の秀吉と利休ものの作品とは大分異なっている。下巻巻末には、瀬木広哉による詳細な著者インタヴューが収録されているが、これを読むと、今までの秀吉像が一変するだろう。
例えば、秀吉のつくった黄金の茶室―これなどは、今まで権力者たる俗物秀吉の象徴として描かれてきたが、作者は違うと言う。
黄金というのは、光の当て具合によっては侘びを感じさせる、復元された黄金の茶室を見ると、沈んだ黄金の色の美しさが際立っている、すなわち利休には利休の、秀吉には秀吉の侘びが存在し、互いを圧倒するという事になる。
伊東潤は海音寺作品を継承しつつも、権力と権威をそれぞれ分担していた二人の世界がバランスを崩し始める様を見事に描いていく。
作者の言を借りれば「秀吉は黄金の茶室によって利休を克服し、利休の権威を侵食し始め」、「利休は静謐、いわゆる平和を維持していくために現実世界のカリスマとしても君臨し始め」る事になる。
利休の死に至るまでの透徹した人物像と歴史観は他に類を見ない。傑作とは本書のような作品を言うのだ。