<東北の本棚>権力者の死因に新見解

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

<東北の本棚>権力者の死因に新見解

[レビュアー] 河北新報

 仙台市在住の日本薬史学会副会長(薬学博士)が奈良時代、特に天平期の権力闘争と毒の関係について考察した一冊である。「遣唐使を介して当時の先進国から薬物がもたらされ、毒を使用した暗殺と思われる事例も認められる」とし、737年に相次いで亡くなった時の権力者藤原武智麻呂、房前、宇合、麻呂の4兄弟の死因は、通説の天然痘ではなく毒殺だと論じる。

 歴史学者は「続日本紀」に疫病流行の記載があることを挙げ、天然痘が死因と判断する。ただ、天然痘の死亡率を高く見積もって30%としても、罹患(りかん)した4人全員が亡くなる可能性は0・81%に過ぎない。4兄弟は親戚が多く、見舞いなどでそれぞれ行き来していたのに、政権中枢にいた4兄弟以外に死亡者が出なかった点からも、著者は天然痘説を疑問視。「これだけピンポイントで亡くなるのは毒殺のような人為的行為があったと考える方が自然だ」として、武智麻呂の次男の仲麻呂主犯説を展開する。

 4兄弟は当時58~43歳で、仲麻呂は32歳だった。著者は、10年後も自分が風下にいると考えた出世欲の強い仲麻呂が犯行を主導し、2年前に帰国した遣唐使が持ち帰った毒薬を投与したと主張する。病に対し、祈る以外になすすべがなかった時代に「唐から伝わった妙薬」は飲ませやすかったと推し量る。仲麻呂や遣唐使帰りの関係者はその後、大出世を遂げている。

 遣唐使がもたらしたとされる薬物は今も正倉院に残る。中には着火すると猛毒の亜ヒ酸が発生する「雄黄(おおう)」と呼ばれる物もある。亜ヒ酸は無味無臭で水によく溶けるため、著者は「暗殺には理想的なツール」とつづる。

 本書は4兄弟以外の当時の死亡事例についても仲麻呂が関わった毒殺の可能性を指摘する。いずれも推測の域は出ないものの、薬学の見地からのアプローチは新鮮で、読ませる。
(桜)
   ◇
 原書房03(3354)0685=2200円。

河北新報
2022年7月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河北新報社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク