心理学の楽しさ、面白さを発見する旅に出よう(有斐閣アルマ『心理学論文の読み方――学問の世界を旅する』)

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心理学論文の読み方

『心理学論文の読み方』

著者
都筑 学 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
哲学・宗教・心理学/心理(学)
ISBN
9784641221864
発売日
2022/02/28
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

心理学の楽しさ、面白さを発見する旅に出よう(有斐閣アルマ『心理学論文の読み方――学問の世界を旅する』)

[レビュアー] 都筑学(中央大学名誉教授)

研究室の片付けは、過去との出会いと未来への出発

 今年3月で、34年間勤めた中央大学を定年退職した。前任校の大垣女子短期大学を含めると、41年間の大学教員生活となった。定年退職にあたって大変だったのが、研究室の片付けである。最後の2か月ほどは、本と書類の整理に追われた。「断捨離とは、過去を捨て去ることではなく、未来に向けた一歩を踏み出すことだ」。そんなことを誰かが言っていた。やってもやっても終わらない片づけをしながら、それを実感した日々だった。

 元来、私は物を捨てるのが不得意だ。とりあえず手元に残しておこうと思ってしまう。いつかは役に立つ日がくるかもしれないと考えると、なかなか捨てられない。そうやって物が溜まっていく。これまでは研究室に置いておけばよかったが、定年退職で研究室もなくなってしまう。外的な制約が課せられた待ったなしの断捨離だった。

 片付けの最中には、ずいぶんと古いものがあれこれ出てきた。学部2年生の基礎実験のレポート綴り、4年生の卒論発表会の報告集、修士論文執筆時のM論ノート。研究室のどこかにあるとは思っていた物たちと久しぶりに再会した。過去があって、現在がある。そんな思いを改めて感じた。これらの資料は、最終講義(3月20日)の後に開かれた交流会で展示して、参加者の方々に見ていただいた。過去と一区切りを付け、新たな人生が始まった。

過去の私は心理学論文をどう読んでいたのか

 3年生のときに書いたレポートも見つかった。当の私は、このレポートを書いたことをすっかり忘れていた。『心理学論文の読み方』を上梓した直後だっただけに、偶然の出会いに驚いた。学部生の私は、心理学の論文をどのように読んでいたのだろうか。レポートの内容をもとに、少し振り返ってみたいと思う。

 レポートのタイトルは、「行動主義の学習理論とその問題点」。タイトルの下に、「心理3年 都筑学」と記されている。1973年度に書いたレポートである。400字詰め原稿用紙10枚に鉛筆で書かれている。半世紀という時代の流れの変化を感じさせられる。レポート課題が出された授業名は書かれていない。最終頁には、「福沢」という印鑑が押されている。教育心理学講座の福沢周亮先生担当の授業レポートだったようだ。

 このレポートで、なぜ行動主義を取り上げたのだろうか。『心理学論文の読み方』でも紹介したが、その当時、同級生のS君と2人で読書会をやっていた。その読書会は、英語論文を2人で1段落ずつ交代に音読していくというものだった。その1篇が、ワトソン(Watson, J. B.)のPsychology as the behaviorist views it.という論文だった。Psychological Review誌に掲載された、ワトソンによる行動主義宣言として有名な論文である。読書会でワトソンの論文を読んだことが、レポートのテーマ選択に結び付いたのだろう。

 レポートは、このワトソンの論文の冒頭部分の直接引用から始まっている。続いて、ワトソンの学習理論の要点が紹介されている。ワトソンは、意識を排除し、刺激と反応の結合にもとづき後天的に獲得される行動を研究した(S-R理論)。それに対して、ヴィゴツキー(Vygotsky, L. S.)は、次のように批判した。行動主義は、「全てが反射から成る」という正しい命題から「全てが反射である」という間違った結論を出した。ワトソンに対する批判は、行動主義の内部からも起こった。刺激と反応の中間項として、生活体を考慮した新行動主義の立場である(S-O-R理論)。レポートでは、その代表的な研究者として、ガスリー(Guthrie, E. R.)、スキナー(Skinner, B. F.)、ハル(Hull, C. L.)、トールマン(Tolman, E. C.)の学習理論の中心点が述べられている。最後に、行動主義の学習理論の問題点が2つ示されている。第1は、いかに教えるか、学ぶかを検討することはできても、何を教えるのか、学ぶかを検討できない点である。第2は、人間=主体の活動が全く考察されていないことである。

 このレポートの引用文献は4つ、参考文献も4つ。日本語の文献も英語の文献も参照されている。学部3年生が書いたレポートしては、及第点だと自己評価したいと思う。

 レポートでは、行動主義の立場の研究者が5人、ソビエト心理学の研究者が1人登場する。このような配置は、レポートの構成として一体どのような意味を持っているのだろうか。

縦軸と横軸で心理学論文を読む

 科学としての心理学の歴史は、140年を少し超えたところだ。学問としては、まだまだ若いと言える。それでも、それなりの研究の歴史と蓄積を持っている。目の前にある心理学論文も、その歴史の流れの中で生まれてきたものなのである。1本の心理学論文を読む際にも、その論文が心理学の研究史のどこに位置づくのかを考えてみることが重要である。それが、縦軸で心理学論文を読むということである。

 ワトソンの論文は、行動主義という研究の立場を明確に提示したものだった。その後の新行動主義は、ワトソンを批判しつつ、行動主義の研究を発展させようとした。そのような研究史を意識しながら個別の論文を読んでいくことが大事なのだ。

 ワトソンの論文が発表されてから100年以上が過ぎた。行動主義は、心理学の教科書に出てくる「歴史」のように感じられるかもしれない。しかし、心理学の個々の研究は、そうした「歴史」のどこかにルーツを持ち、繋がっている。こうした縦軸を意識しながら、手にした論文を心理学の発展史に位置づけ、1本1本の心理学論文を読んでいくことが大切なのである。

 私が学部1年生のときに受講した心理学の授業の教科書は、『心理学史』(今田恵著、岩波書店)だった。当時の私は、心理学とは何たるかを全く分かっていなかった。古代ギリシャ哲学の歴史から心理学を紐解いていく授業の意味が、全然理解できなかったのだ。先輩から代々引き継がれてきた選択式の過去問を同級生と一緒に学び、単位を取得した。『心理学論文の読み方』の執筆に際して、改めて『心理学史』を読み直してみた。そうすると研究者と研究者との人的つながりや理論の発展が面白く思えてきた。歴史は今に連続し、現代の研究の土台となる重要な働きを担っているのである。

 もう一方の横軸で心理学論文を読むとは、どういうことか。私が書いたレポートでは、行動主義・新行動主義に加えて、ヴィゴツキーというソビエト心理学の研究者が登場する。彼は、ワトソンらと同時代を生き、文化-歴史学派という別の視点に立って人間の心理を研究した。横軸とは、こうした同時期における他の学派の視点から物事を見てみようということなのである。私のレポートでは取り上げていないが、精神分析やゲシュタルト心理学といった理論的立場と行動主義を比較対照することも可能である。もしそうしたならば、レポートの構成も内容も全く異なるものになっただろう。横軸をどのように定めるのかも、大事な観点なのである。

 縦軸と横軸を設定すれば、個々の心理学論文はその座標軸のいずれかの場所に位置づくことになる。それは私たちが歩くときに参照する地図のようなものである。闇雲に歩き回っても、ただ疲れるだけで、目的地には到達できない。個々の論文の所在地を明らかにし、次に読むべき論文を探すには、明確な座標軸が不可欠なのである。

いろいろな言語で心理学論文を読む

 ドイツのライプチヒ大学に、ヴント(Wundt, W.)が世界で初めての心理学実験室を作ったのが1879年。世界各国からヴントの元に多くの研究者が留学し、その当時の最先端の心理学を学び、母国へと伝えた。20世紀に入り、第一次世界大戦、第二次世界大戦のもとで、ヨーロッパから多くのユダヤ系の心理学者がアメリカへと移っていった。私が専門に研究している時間的展望の概念を提唱したレヴィン(Lewin, K.)も、ドイツからアメリカへ渡った心理学者の一人である。

 学部生のとき、第二外国語としてドイツ語を取った。「心理学ならドイツ語がいい」と言う先輩のアドバイスを受けてのことだった。しかし、そのドイツ語は全くモノにならなかった。当時の大学院入試には第二外国語があった。そこで、神田駿河台のアテネ・フランセに通って初級を習った。大学院入試に備えて、実験心理学講座の金子隆芳先生(日本心理学会元理事長)にフランス語のテキスト講読の手ほどきも受けた。修士論文でピアジェ(Piaget, J.)のイメージ形成の実験研究をしたので、原書で読んだりもした。

 日本は翻訳文化の国である。欧米の心理学書でも、重要なものは日本語で読める。それはとても便利である。たいていの本は翻訳でも読めるが、原書で読むのはやはり大切だ。

 その一方、心理学論文の場合、日本語に翻訳されることは滅多にない。英語で書かれた論文は、英語で読むしかないのだ。いまの時代、インターネット上で便利に使えるアプリがたくさんある。グーグル先生に頼めば、たちどころに英語を日本語に翻訳してくれる。手っ取り早く論文の趣旨を理解したいというときには、それも一つの手かもしれない。

 しかし、手間暇かけて辞書を引きながら英語で読むのが一番だと思う。「横のものを縦にする」プロセスでは、さまざまな気づきがあるからだ。一つの英単語を日本語にしようとするとき、辞書には複数の訳語が並んでいる。そのうちのどれが最も相応しいのか。そうしたことを考えるのは、頭のトレーニングになる。そうしたことを幾度も幾度も繰り返しつつ、英語と日本語という異なる言語の性質の違いを理解していくことになる。

 日本語で書かれた論文には、英語論文にはないプラスの面がある。また逆に、英語で書かれた論文には日本語論文では表せない面がある。それに気づいていくことで、自分の思考回路が複線的なものになっていくのだ。異なる言語を用いて論文を読むことで、それだけ自分の可能性が広がっていくのである。英語から遠い言語である日本語を母国語とする私たち。ハンディキャップは大きいが、その分得るものも大きい。そんなふうに思いながら、今日も心理学の論文を手にする私である。

有斐閣 書斎の窓
2022年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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