<東北の本棚>「裏切り者」の変貌考究
[レビュアー] 河北新報
源義経が主人公の軍記物語「義経記」に、常陸坊海尊なる人物が登場する。義経の都落ちに従い、平泉にたどり着くのだが、あるじが藤原泰衡に攻められて自害する日の朝、寺参りと称して姿をくらました。
「義経記」が成立したのは平安期ではなく、室町期の初めごろとされる。海尊の実在を裏付ける史料もない。けれど、義経の元から逐電した後の彼にまつわる伝承は、各地に残っている。「人魚の肉を食べ、不老不死となった」「400年生き、義経主従の都落ちについて語った」「富士山に住み、滑落した参詣者を助けた」などだ。
著者は盛岡市出身の伝承文学研究者。本書では、裏切り者の汚名を着た男が、人々の心の中で、超越的な存在へと「再誕」してゆく過程について考究する。
江戸後期の紀行家、菅江真澄は、秋田藩領の地誌をまとめるに当たり、駒ノ御嶽(栗駒山)には仙人がいて、その人こそ海尊であると記した。民俗学者の柳田国男は、仙台藩領に白石翁という「異人」がいたとの伝承に触れ、源平合戦について見てきたかのように語ったとされる白石翁こそ海尊であろうとの仮説を立てた。
白石城下が大火に見舞われた際、呪文を唱えて火を鎮めたとか、海尊伝説には好意的なものが多い。軍記物語のキャラクターが地域の修験道と結び付き、正義の味方に再誕したのだ。江戸時代には、武士に抑圧された民衆の代弁者として、あるいは幕府の政策を擁護する聖人として、いろんな海尊が文芸作品に登場している。
戦後を代表する劇作家、秋元松代さんの戯曲「常陸坊海尊」は、蜷川幸雄さんや長塚圭史さんの演出で上演を重ね、人気を博している。海尊は時代を超え、魂の救済者として希求されているのだ。(村)
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