『セルタンとリトラル』
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<書評>『セルタンとリトラル ブラジルの10年』三砂ちづる 著
◆生も死も 人生を全肯定
十年におよぶブラジル滞在記。それだけで胸の奥をくすぐられる。地球の反対側のはるか遠い土地だからか。そんな遠い国にかつて日本から多くの人が海を渡って移り住んだ記憶が奥底にあるからか。
冒頭、著者は人類学者レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』にふれる。学生活動家だった彼は変革を夢みた社会主義運動から手を引き、ブラジルへと渡った。一方、著者が留学中のロンドンからブラジルに向かったのは、表向き途上国の現場で国際保健の研究をつづけるため。だがじつは「恋人を追いかけて」が真の理由だった。その状況だけでもうドラマチックだ。
ブラジルで話されるポルトガル語には日本語に訳しがたい言葉がある。著者はブラジルで過ごした三十代を思い返すときの胸がしめつけられる切なさ、思い出の甘さ、懐かしさがまさに「サウダージ」だという。そこには出会いの喜びと別れの切なさにみちた人生を全肯定する思想がある。
ブラジルでの体験談は日本との違いを痛感させられる。ハイパーインフレで急に預金が凍結されても、みんな楽天的に構えて家族と人生を楽しむ。国際学会ではプログラムさえ配布されず、登壇者もはっきりしないのに、その場の柔軟な対処ですばらしい会にしてしまう。ただし本書の味わい深さは、単純に文化の差異を強調するだけにとどまらない点だ。
ブラジル北東部の僻地(へきち)では、幼子を亡くしても母親が涙すら見せない。そのことについて二人の米国人類学者の説が紹介される。一人は過酷な生活が母親から感情を奪ったと論じた。別の人類学者は、泣くと天使になった子どもの羽根が涙で濡(ぬ)れて飛べなくなると信じているからだと反論した。著者はいずれの議論も「死」を悲しむべきものとする西洋の前提にとらわれているという。かつての日本もそうだったように、死は生のすぐとなりにあるものとして毅然(きぜん)と受容されている。
読む者をブラジルの遠さと近さの往復運動に巻き込んでいく。そんな鋭さと情感にあふれた文章に最後まで胸のざわめきが止まらなかった。
(弦書房・2200円)
1958年生まれ。津田塾大教授・疫学。『オニババ化する女たち』『月の小屋』など。
◆もう1冊
デボラ・ジニス著『ジカ熱 ブラジル北東部の女性と医師の物語』(水声社)。奥田若菜、田口陽子訳。