<東北の本棚>自転車から広がる世界

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

明日へのペダル

『明日へのペダル』

著者
熊谷 達也 [著]
出版社
NHK出版
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784140057261
発売日
2022/06/28
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<東北の本棚>自転車から広がる世界

[レビュアー] 河北新報

 人生の後半で出合った「何か」によって、枯れてゆくだけと思われたその後の時間に彩りがよみがえり、豊かな味わいが増す。そんな幸運をつかむ人も世の中にはいるのだろう。この小説の主人公、仙台に暮らす55歳の会社勤めの本間優一にとって、それは自転車だった。

 健康診断で赤信号が出たメタボ予備軍。運動不足の解消法に迷っていると、部下の女性社員、水野唯に自転車を勧められる。唯は全編を通じ、新たな価値観を体現するキーパーソンだ。

 本格的なロードバイクを求め、専門店に出向く優一は、フレームだけで30万円近い価格に仰天するが、一目ぼれしたイタリアブランドの「デローザアイドル」を購入。自転車が切り開く世界に魅了され、次第に距離を延ばし速度を上げてゆく。泉ケ岳のヒルクライム、宮城県沿岸部の「復興道路」を行く100キロライドと、実際の地名を織り込んだ臨場感あふれる描写は、読者にも心地よい疑似体験をもたらす。

 優一は目標を掲げて挑戦する自分を見いだす。半年で2桁の減量にも成功した。うらやましい境地だが、物語の設定は2020年春。新型コロナウイルス禍の最初の大波に、誰もが底知れぬ不安と戸惑いを抱えていた。家庭でも、共働きの妻と新社会人の次女は自宅待機を強いられ、グループホームにいる母の認知症が進む。

 唯の尽力で初めて職場に導入されたテレワークは、従来の働き方を見直すきっかけになった。生産性が確保されるなら、どこで、いつ仕事をしてもいいのではと考える優一に対し、上司は毎日顔を合わせてこそ愛社精神が養われると信じて疑わない。業績が低迷する中、リストラ話が持ち上がり、優一は大きな岐路に立つ-。

 著者は仙台市在住の直木賞作家にしてサイクリスト。20年7月から河北新報など地方各紙に順次連載された作品を加筆修正した。
(ぐ)
   ◇
 NHK出版(0570)000321=1870円。

河北新報
2022年7月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河北新報社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク