日常から不穏さが顔を覗かせるそのソフトな筆致が怖い

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

とんこつQ&A

『とんこつQ&A』

著者
今村 夏子 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784065283967
発売日
2022/07/21
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

日常から不穏さが顔を覗かせるそのソフトな筆致が怖い

[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

 今村夏子の小説では、ベネフィット(利益、恩恵)の形は常に曖昧だ。それを与えるものに見えてじつは害するものであったり、その逆もある。

「むらさきのスカートの女」では、“むらさきのスカートの女”は語り手の計らいで就職できるのだが……。「ある夜の思い出」では、四つ足動物のようになってしまった主人公がパートナー(?)と出会うが……。

「とんこつQ&A」では、実際にあったある事件を彷彿させることが起きる。語り手の今川はバイト募集中の中華料理店「とんこつ」に入っていくと即採用されるが、「いらっしゃいませ」も言えない。それでも店の大将もぼっちゃんも優しく、彼女は客との想定問答を全て紙に書いて読みあげることで、接客する。

 今川は大将の亡きおかみさんの大阪弁を真似るよう誘導され、女主人然としてくるが、Q&A無しでも喋れるようになる。すると、大将たちは新しいバイトの募集を始めてしまい、次に来た丘崎も即採用、同じようにQ&Aを頼りに接客し、いつしか彼女に座を奪われた語り手は……。

 ぼっちゃんは、今川さんが失意のなか旅に出て自殺するんじゃないかと思ったと、当たり前のように言う。このあたりの筆致のソフトさが怖いのが今村風。バイト採用時の手慣れた感じ、雇った女性を亡きおかんに似せていく段取りの良さ、これは語り手登場以前にも何度かあったことなのでは、と思わされる。で、実際その中の一人は旅先で自ら命を……?

 今や丘崎は一家のお母さんとなり、語り手は調理、接客、清掃、会計までやらされているが、彼らとの“共助”を知った今川はこれを恩恵とし、店に尽くす。めでたし……じゃない!

 他、嘘つきの少年をいじめていた姉弟が老女に道案内をしてあげる「嘘の道」、介護職の夫婦が飢えた男の子に親切にする「良夫婦」、借金癖がわるいと噂の同僚が料理を作りにくる「冷たい大根の煮物」を収録。禍福は糾える縄の如し。

新潮社 週刊新潮
2022年7月28日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク