『大衆の狂気  ジェンダー・人種・アイデンティティ (原題)THE MADNESS OF CROWDS』ダグラス・マレー著(徳間書店)

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大衆の狂気

『大衆の狂気』

著者
ダグラス・マレー [著]/山田美明 [訳]
出版社
徳間書店
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784198654467
発売日
2022/03/31
価格
3,080円(税込)

書籍情報:openBD

『大衆の狂気  ジェンダー・人種・アイデンティティ (原題)THE MADNESS OF CROWDS』ダグラス・マレー著(徳間書店)

[レビュアー] 小川さやか(文化人類学者・立命館大教授)

行き過ぎた多様性の尊重

 あらゆる人々が不当な扱いを受けず、自らが望む生き方ができる社会を築くことの重要性は自明だ。ゲイをカミングアウトしている著者もそれは認めている。だが著者が本書で問うのは、ポリティカル・コレクトネスが最も進んでいる国のある種の狂気だ。彼は主張する。これらの国では女性や人種、LGBTなどのマイノリティの苦境を取り上げれば、ある種の道徳性を示せるという「信仰」が広がり、際限のないアイデンティティの政治が展開することで多様な矛盾が噴出している。だが矛盾を指摘すること自体が差別主義者のレッテルを貼られる危険性と紙一重だ。その行き着く先は、社会のさらなる細分化と怒りや暴力の蔓延(まんえん)だと。

 本書が開示する状況は、息苦しさ全開だ。たとえば、グーグルで「ストレートのカップル」と画像検索すると同性愛カップルが、「白人のカップル」と検索すると異人種間カップルの画像が出てくる。これは反証や異議申し立てのためにこれらの検索ワードを使用する人びとが多い証左だ。差別用語は急速に変化している。人種的マイノリティを擁護している俳優でも、政治的に正しい有色人種の表現が「カラード・ピープル」から「ピープル・オブ・カラー」になったことを失念しただけで、謝罪に追い込まれる。誰かが重要なポストに任命されると、ネット上でその人物がかつて発した言葉の掘り起こしが始まる。白人男性に対する憎悪の発言が発掘されても、発言者がアジア人女性であれば擁護する者が現れ、発言者が白人男性であれば、内輪の愚痴でも仕事をキャンセルされる。問題は、あらゆるものを政治化するアイデンティティの政治は複雑化・細分化しており、黒人男性と白人のゲイ、異性愛者の女性のなかで、あるいは同じゲイのなかで「抑圧の序列」をめぐって摩擦が生じてしまうことだ。

 著者はこの状況から抜けるには、政治活動への関心を維持しつつも、それを人生に意味を与えるすべてとして考えないことが重要だと述べる。賛否が分かれる本だ。だが我が事であることは間違いない。山田美明訳。

読売新聞
2022年7月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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