『近代民衆の生業と祀り』
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<東北の本棚>仙台の特徴 掘り起こす
[レビュアー] 河北新報
経済や文化、戦争と、庶民生活の視点から近代化と民俗の変遷を捉え、現在につながる仙台のまちの特徴を歴史的に掘り起こす。仙台市歴史民俗資料館の学芸員である著者の集大成と言うべき労作だ。
仙台七夕まつりは女子教育との関わりが深いという。裁縫学校の松操私塾(現仙台大明成高)で1888年、七夕飾り制作を試験に導入、生徒に奨励したことがきっかけ。以後、市内の裁縫学校や女学校に広まり盛んになった装飾様式が仙台七夕の原型となり、全国に知られるようになった。
「学都仙台」の呼称は1905年、旧制二高の学友会誌「尚志会雑誌」に掲載の論文「学都たらしめよ(新来の諸君を迎えて)」が最初だそうだ。当時、学生・生徒が市民の4分の1を占めたまちを反映した。
「軍都仙台」は、仙台に司令部を置いた旧陸軍第二師団の満州事変からの凱旋を伝える河北新報記事(1933年2月1日)が初出という。満州事変の最初の戦死者は第二師団歩兵第四連隊と関東軍独立守備隊の兵士だった。軍の需要に依存したなりわいも多く、戦争と仙台、東北のつながりは深かった。
天皇が「現人神(あらひとがみ)」とされ、国家神道イデオロギーが浸透し、祝日や祭礼も変容した中でも、豊かな地域文化は根強く残った。一例が、宮城県に広く伝わる正月迎えの切り紙。家格が同等な家には同じ仕様が配られた農村型。商家など個々に図柄が異なる都市型。明治以降に急増した船方・漁師向けの海岸集落型など多様で、戦中も大きな変化はなかった。「上からの純化なり、あるいは一方的な統制や淘汰(とうた)が進むことなく併存しているというところに意義、特徴が認められる」。著者の分析は民衆に根差す文化の奥深さを物語る。(会)
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