海保志願のきっかけは今でも「海猿」人気 女性海上保安官の中林久子と海保小説家・吉川英梨が語る
[文] アップルシード・エージェンシー
左から中林久子さんと吉川英梨さん(撮影:米田堅持)
警察小説を中心にミステリ作家として活躍する吉川英梨さん。「新東京水上警察」シリーズをきっかけに海上保安庁関係者から依頼を受け、海上保安庁に取材を重ねて“海保小説”を何作も手掛けています。
女性版「海猿」ともいえる日本初の女性海保潜水士を描いた『海蝶』(講談社)シリーズ、お台場のレストランと東京湾上で発生した新種のウイルス感染症と闘う海保×警察パンデミックアクションの『感染捜査』(光文社)など、海上保安庁への徹底した取材から生み出されるリアリティあふれる描写に、緻密な人物描写が織りなす人間ドラマが多くのファンを生んでいます。
新刊は、海の安全を守る海上保安官を育てる海上保安学校を舞台にした『海の教場』(KADOKAWA)です。
『海の教場』刊行を記念して、この4月に初の女性広報室長に着任した海上保安庁・総務部政務課・政策評価広報室長の中林久子さんと海保小説家、吉川英梨さんのスペシャル対談が行われました。
これまでに海上保安署長、海上保安部長を歴任してきた中林さん。そのどちらも女性初で、後に続く女性海上保安官の星と言うべき存在です。
――新作の舞台でもある舞鶴の海上保安学校で取材した学生たちはどんな印象でしたか。
吉川英梨さん(以下、吉川) 場所柄でしょうか、東京の子と違って伸び伸びしていましたね。警察学校も取材したことがあるんですが、同じ公安系なのに100倍くらい伸び伸びしていました。海がそうさせるのかな。海上保安学校と海上保安大学校でまた雰囲気は違うんですか。
中林久子さん(以下、中林) 私は大学から行ったからか、学校って割とカッチリしているな、というイメージです。
海上保安学校は主に18歳から30歳まで、海上保安官を目指す学生さんが共同生活を送っていて、規則正しい生活を送っている感じ。一方、海上保安大学校は大学なので、わりと自由な雰囲気です。
それと、女性の学生が増え、学校の雰囲気も相当変わったんだろうな、と思います。現在、およそ1万4,000人の海上保安官のうち、女性は約1,200名。全体の9%ほどですが、近年は女性の活躍の場が広がっていて、女性船長やパイロットも誕生しています。
船と陸の職場を交互に勤務すると、陸に上がるたびに女性が増えているという印象です。本庁地下のそば屋さんにも、女性が結構並んでいます(笑)。
中林久子さん(撮影:米田堅持)
――海上保安学校の学生さんの入学志望動機はなんなのでしょうか。
吉川 親御さんが海上保安官だから、という学生さんが結構いました。あとはドラマ「海猿」を観て海保に、というパターンです。ドラマも映画も終わって久しいのですが、今の若い子たちは動画で観たというんですね。学生が10人いたら、4人くらいはいまだに「海猿」を観たことが海保を志望したきっかけです。
中林 面接の時も「海猿」を口にする若者は多いですね。
吉川 女性も1人「海猿に憧れて」という学生がいました。でも学校生活を送っていく中で、女性の潜水士なんていない、やっぱりキツそうだ、(潜水士には)なれない、と諦めていく。それでも(海猿を)支える仕事にやりがいを見出し、前向きにとらえている感じでしたよ。いずれにしても、いまだに「海猿」の影響はすごい。潜水士は(海保の)看板ですよね。
中林 一方で、フツーの人に「ウチの役所に興味はないですか」と聞くと「海猿」をネガティブにとらえて「わたしはあんなことはできません」「そもそも泳げません」と言う人もいます。「海猿」にはなれないので海保には興味はありません、と。断る理由かもしれませんが。
吉川英梨さん(撮影:米田堅持)
――吉川さんは小説で女性版「海猿」、「海蝶」を描かれていますが、女性潜水士実現の可能性はあるのでしょうか。
吉川 マッチョな女性はたまにいるので、そういう方が潜水士として活躍できるかもしれませんが、大多数の女性はそこまでではありません。実現性はとても低いと思います。女性の活躍云々というのは大事なことだとは思いますが、潜水士の仕事をしていて苦しいだけだったら何の意味もありません。自分自身の話をさせていただくと、夫がマッチョで、同じ時期にジムに入ったのですが、同じ器具でトレーニングしているのに、夫はどんどんステップアップしていく。ところが、わたしは何カ月たっても同じ器具を使っていたりします。わたしのほうが何度もジムに通い、努力しているのに、そこは男女差があるのでしょうがない。潜水士の話も同じで、男女差と建前をごっちゃにしてはいけないな、と思います。
『海蝶』のヒロイン忍海愛は(同じ海上保安官である)父親譲りのスポーツ万能の女性ですが、潜水士の中ではどう考えてもビリなんですね。だけど、そんな中でも自分ができることを一生懸命探している。彼女にとって、毎日が挑戦なんです。潜水士になることも大変だけど、続けていくことも大変である、という状況を続編の『海蝶 鎮魂のダイブ』で書きました。次回作では、自分が一生懸命頑張って(女性潜水士というフィールドを)開拓してきたけど、ふと振り返ると、うしろから誰も女性がついてこない。「女性初の潜水士に何の意味があるのだろう」という葛藤を、彼女と一緒に悩みながら書いていくんだろうな、と思っています。
中林 警察小説もお書きになっていて、警察学校と海保校と何か違いみたいなものはありますか。
吉川 警察が現場に出て戦うものと、海保が現場で戦うものとでは大きな違いがあるんじゃないでしょうか。海保は自然が相手なので、警察ほどカッチリしていられない。同じタテ社会でも海保は、海の上で生きるか死ぬか、命に直結する世界。職員はそれぞれ臨機応変にやっていかなければならず、自分で考える力が必要になってきますよね。硬すぎない上下関係もいい塩梅だな、と思います。
――海上保安庁の印象をお聞かせください。
吉川 皆さん底抜けに明るい感じがします。それと、経験してきたことがすさまじいことばかりだったりするのに、それを武勇伝にしない、というか。サラッと口にする経験談がすごくて「下手したら死んでたんじゃないの?」とか、あとから「あの話ってニュースで見た、あのこと?!」と驚いたりします。見せていただいた動画も「これってハリウッド映画?!」とか。皆さん、格好いいですよね。
中林 期待したものが返ってくるかは運だけれど、頑張った分はいつか返ってきます。
吉川 小説家もそうですよ。書き続けていれば、いつかいいことあるのかなあ、と。
中林 それまで待てるか待てないか、ですよね。あとはいつまでやり続けるか。
吉川 女性海上保安官って格好いいですよね。わたし、特に白い制服が大好きです。