「常識」の脆弱さとカルトの核心に迫る村田沙耶香の新境地『信仰』

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

信仰 = Faith

『信仰 = Faith』

著者
村田, 沙耶香, 1979-
出版社
文藝春秋
ISBN
9784163915500
価格
1,320円(税込)

書籍情報:openBD

ずっと信じ続けられますように

[レビュアー] 年森瑛(作家)

 冗談とそうではない話を見分けるのが苦手で、人の話に相槌を打っていたら「ツッコミ待ちだったんだけど……」と困惑させてしまったことがある。「普通に考えたら冗談だって分かるでしょ」と言われたが、私なりの普通の思考では、どう考えても本当の話にしか聞こえなかったのだ。適切にツッコめる人は、語られていることが本当なのか、何を基準にして判断しているのだろう。

 本書には6つの短編と2つのエッセイが収録されている。表題作の『信仰』は、主人公の永岡が、金儲けのためにカルト商売を始めないかと地元の同級生の石毛に話を持ちかけられるところから幕が上がる。同じ中学の同級生だった、真面目で大人しい印象の斉川さんもカルト商売の片棒を担がされていると分かり、永岡はなんとなくその場では断ることができず、後日、再び二人に会うことになる。

 もしも、古い知人にとつぜん呼び出され浄水器を売りつけられたとしたら、おおよその人は「目を覚まさせてこちら側に連れ戻さねば」と考えるか、もしくは「あっち側にいった人は手の施しようがないので縁を切ろう」と思うだろう。自分とは異なる価値基準で生きている他者を「狂っている」「間違っている」と判定しているとき、人は、自身が正常な側にいると信じて疑わない。しかし、自分が正常であることを保障してくれる“完璧に正しい基準”はこの世に存在するだろうか。

 本作はカルトにハマる人を安全な観覧席から見おろして読むような小説ではない。物語は想像もつかない方向に展開し、ページをめくる直前までの読者が立っていた、頑強だったはずの足場を丁寧に解体する。

 エッセイ『気持ちよさという罪』では、著者が一時期「クレージーさやか」というキャッチコピーでメディアに取り上げられていたことに触れている。元は親しい人々からの受容と愛情によって生まれたこの呼び名は、流布するにつれて〈安全な場所から異物をキャラクター化して安心するという形の、受容に見せかけたラベリングであり、排除〉の機能を有するようになり、異質さゆえに笑い者にされる著者の姿を見るのを苦しく思うという手紙が何通か届く。

 一般的に、エッセイには著者の体験や感想といった事実のみが書かれていると思われているが、虚構を交えて書く著者もいるそうだ。とすると、本エッセイも――なんとなく良さそうで気持ちがいいものに身をゆだねないよう考え続け、自分を裁き続けることができますようにという著者の祈りも虚構だったりするんだろうか。私はまた冗談と本当を見分けられなかったんだろうか、と不安になってから、『信仰』の一節を思い出す。〈「騙す相手をちゃんと尊敬しなよ。信じる人だって、バカじゃないよ。見下してきて騙そうとしているか、その人本人も本当に信仰しているか、すぐわかると思う」〉エッセイを読み返す。見下して騙そうとしているとは思えなかった。つまり、そういうことなのだと、私は信じている。

河出書房新社 文藝
2022年秋季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク