『柩のない埋葬 (原題)軟埋』方方著(河出書房新社)

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柩のない埋葬

『柩のない埋葬』

著者
方方 [著]/渡辺 新一 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784309208497
発売日
2022/04/27
価格
3,025円(税込)

書籍情報:openBD

『柩のない埋葬 (原題)軟埋』方方著(河出書房新社)

[レビュアー] 川添愛(言語学者・作家)

葬られた惨劇の記憶

 主人公は、遠い昔に記憶を失った老女・丁子桃。かつて激流から救出されたとき、彼女の身元を示すものは何もなかった。自分が何者なのか分からないまま、助けてくれた医師と結婚し、息子を育て、家政婦として働きながら生きてきた。そんな彼女が、息子の建てた豪邸に引き取られたことをきっかけに、自分の記憶を遡(さかのぼ)り始める。

 こんなふうに書くと、ミステリーによくある設定のように思われるかもしれない。しかし、彼女の言動が実に不可思議で、少し読んだだけで物語に強く惹(ひ)きつけられる。いつ身につけたか分からない巧みな刺繍(ししゅう)の技術、同年代の女性には珍しい深い教養。そして、夫の事故死に際して口走った「柩(ひつぎ)を! 柩のない埋葬は厭(いや)!」という言葉。彼女の魂の彷徨(ほうこう)は、息子・呉青林による過去の探究と絡み合い、1950年代に行われた「土地改革」と、それに伴って起こった惨劇の数々を白日の下にさらしていく。

 土地改革とは、地主階級が所有していた土地を没収し、貧農に分け与えるという政策だ。青林が調査旅行で目にしたように、かつての地主の土地はあまりに広大であり、貧富の差は激しかった。また、子桃の身に起こった悲劇の一因にも、階級間の不平等がある。しかし、たとえ大きな変革が必要であったとしても、これほどの残酷さは必要だったのか。当時を知る老人の、「土地改革をしたことなんぞ、誰もないんだ。(中略)みんなは会を開き、誰かがこいつは殺すべきだと言えば、殺した」という言葉はあまりにも重い。

 中国本国では本書に対し、「地主階級の側に立って土地改革を否定している」という旨の批判があり、現在では禁書扱いになっているらしい。しかし、本書は特定の政策を非難するといったスケールの小さい作品ではない。過去は二度と蘇(よみがえ)ることがなく、真実を完全に知ることはできない。目を背けたくなるような過去を、歴史の流れの中に葬り去って生きるのか。それとも、たとえ不完全であれ、掘り起こすことを選ぶのか。この問いは、全ての個人に向けられている。渡辺新一訳。

読売新聞
2022年7月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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