『かくも甘き果実 (原題)The Sweetest Fruits』モニク・トゥルン著(集英社)

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かくも甘き果実

『かくも甘き果実』

著者
モニク・トゥルン [著]/吉田 恭子 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784087735178
発売日
2022/04/05
価格
2,640円(税込)

書籍情報:openBD

『かくも甘き果実 (原題)The Sweetest Fruits』モニク・トゥルン著(集英社)

[レビュアー] 柴崎友香(作家)

八雲を愛した女性たち

 宿屋の布団から貧しい兄弟の声が聞こえてくる怪談を幼い頃に聞いて忘れられなかったが、それが小泉八雲の本に書かれていることは後になって知った。この小説は、八雲/ラフカディオ・ハーンゆかりの三人の女性の「声を聞く」形式で書かれている。母のアントニアは、イオニア諸島の支配階級で厳格な家から出られずに育ち、英国軍人と恋に落ちる。地元でも夫の故郷アイルランドでも差別的な扱いを受け、イオニアに戻る船中で息子パトリシオへの手紙を代筆してもらう。最初の妻のアリシアは、黒人奴隷に生まれ、シンシナティの下宿で料理人として新聞記者パットと知り合った。異人種間結婚が禁止のもとでの生活を、伝記の著者に語る。小泉セツは、亡くなった夫・八雲に共に暮らした日々を伝える。島根の言葉で書かれているのは、日本語訳ならではの楽しみである。

 文字が書けないなど文章を世に出すことができない立場だった彼女たちが、自らの言葉でパトリシオ/パット/八雲への想(おも)いとそれぞれの来し方を語る。支配階級の家を追われた娘と駐留軍人、移民男性と黒人女性、明治初期の日本に来た外国人と地方の元士族の娘。支配と被支配、文化、言語が幾重にも絡まりあう間に、彼らの存在はある。伝記の抜粋が差し挟まれることで、記録された物語と実際の経験との齟齬(そご)があらわになる。八雲が複数の人から聞いた話をおもしろくまとめ上げる能力が高かった挿話もあり、文章を出版できる権力性と、物語や言葉の可能性と所有の問題、小説として書く行為の意味が、繰り返し問われる。

 三人の語る言葉が多面的に響き合い、地中海の小島から漂流するように米国や西インド諸島を経て日本の片隅で生涯を閉じた八雲に想像が広がる。大文字の歴史では省かれてしまいそうな料理や生活の細部、土地の文化を通じて人の関わりが描かれるのが、この小説の魅力であり強さでもある。吉田恭子訳。

読売新聞
2022年7月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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