<書評>『小泉文夫』ひのまどか 著

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<書評>『小泉文夫』ひのまどか 著

[レビュアー] 篠崎弘(音楽評論家)

◆世界の民族音楽の魅力発信

 民族音楽学者の小泉文夫は一九五七年、東大大学院を修了後の三十歳の時にインドに二年間留学した。それが初の海外だった。そして人生が決まった。小泉はそれから五十六歳の若さで亡くなるまでの二十六年間で、北極圏のアラスカからアフリカの砂漠地帯まで、実に五十を超す国々を訪れて民族音楽のフィールドワークを行った。いずれも行くことさえ困難な土地だったが、非常なる努力と類い稀(まれ)な語学力とで土地の人々の信頼を得て、数々の貴重な音源や映像資料を残した。

 東京芸大で教鞭(きょうべん)を取るようになってからも、フェスティバルやイベント、ラジオやテレビの音楽番組、多くの啓蒙(けいもう)書を通じて、世界の民族音楽の魅力を語り続けた。自らの早世を予感していたかのような、何かに急(せ)かされるような人生だった。何が彼を突き動かしていたのか。多くの資料や証言をもとにそれを探ったのが本書だ。

 当時の日本の音楽界は西欧古典音楽一辺倒。小泉の活動は異端視されがちだったが、多くの後継者も育った。彼が紹介したブルガリアン・ヴォイス(女声コーラス)も、トルコの軍楽も、後に西欧から日本をも巻き込んだ「ワールド・ミュージック」のブームの中で世界的に高い評価を受けた。

 ワールド・ミュージックとは、世界の多様な音楽を相対化し、非西欧世界の音楽も西欧音楽と等しい価値と魅力を持つのだという認識に基づく概念だが、小泉ははるか以前からそう声高に主張して、自らも世界各地の民族社会に飛び込んでその魅力を堪能していたのだ。

 著者は小泉に音楽を、三枝子夫人に声楽を学んだ教え子で、「音楽家の伝記 はじめに読む1冊」シリーズで多くのクラシックの作曲家の伝記を手掛けてきた。本書で初めて日本人を扱った。文章は子供向けで平易だが、随所に配されたQRコードから本書に紹介された世界の民族音楽を試聴することができて、大人にも読み応え、聴き応えは十分だ。

(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス・1760円)

音楽作家。『星の国のアリア』『総統のストラディヴァリ』『戦火のシンフォニー』など。

◆もう1冊

『小泉文夫フィールドワーク 人はなぜ歌をうたうか』(学習研究社)。著作選集(1)。

中日新聞 東京新聞
2022年8月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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