貧しく学歴もなく差別的な待遇に苦しんだ松本清張……抑圧された経験を持つ作家の原点〈新潮文庫の「松本清張」を45冊 全部読んでみた結果【短編小説編】〉

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

或る「小倉日記」伝

『或る「小倉日記」伝』

著者
松本 清張 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101109022
発売日
1965/07/02
価格
880円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

45冊!新潮文庫の松本清張を全部読む

[レビュアー] 南陀楼綾繁(ライター/編集者)


松本清張(写真:新潮社写真部)

「本」に関することを中心に活動するライター・南陀楼綾繁さんが、没後30年を機に新潮文庫刊行の「松本清張」全作読破に挑戦! 45冊・総計20,512ページ、『砂の器』の舞台・出雲生まれのライターの奮闘の行方は――?

 ***

 こんどはナニをやらされるのかなあ。憂鬱な気分で階段をのぼる。

 地下鉄東西線・神楽坂駅の新潮社に近い出口にはエスカレーターもエレベーターもなく、高田馬場方面から行くと二層分の階段を歩くことになる。ただでさえ長い階段が、「波」からの呼び出しとなるとよけい長く感じる。

「波」ではこれまで、同誌の五十年の歴史を振り返ったり、新潮文庫で刊行されている三島由紀夫作品を全部読んだりしている。いずれも準備にやたらと時間がかかる仕事だった。どうせ、今回も同じだろう。

 案の定、会議室で出迎えたK編集長から告げられた使命は、「新潮文庫で刊行されている松本清張の全作品を読むこと」だった。たしかに今年は清張の没後三十年に当たる。「ナンダロウさん、清張好きでしょ?」と調子よく話すKさんに思わずうなずいてしまう。たしかに、食わず嫌いだった三島由紀夫とは違って、清張なら主要な作品はだいたい読んでいる。

 しかし、これまで騙されてばかりの私の心は、すでに疑いでいっぱいだ。新潮文庫では清張作品はいま何冊出ているのか? 「四十五冊です」と、担当のHさんが答える。合計ページ数は二万五百十二ページだという。……ちょっと待て。三島由紀夫の時は三十四冊で一万千九百六十八ページだった。それより十冊以上多いし、ページ数にいたっては倍近いじゃないか!

「まあ、大丈夫ですよ。よろしく!」と足取り軽く去っていったKさんの後姿を見つめる私の目は、上京したばかりの清張の人間不信に満ちた目にそっくりだったに違いない。

清張と新潮文庫

 松本清張は四十年の作家人生で、約七百冊の著書を残した。そのうち、『松本清張全集』全六十六巻(文藝春秋)に収録された小説作品は三百九十編。うち長編が三十九編、短編が二百七十九編、中編が七十二編とされている(加納重文『松本清張作品研究』和泉書院)。もちろん、全集未収録の作品も多い。

 新潮文庫では現在、長編が二十八冊、短編集が十五冊、中編集が一冊ある(原稿用紙で百枚前後から二百枚前後までを中編とする)。このほか、自伝『半生の記』がある(アンソロジーについては後述)。同文庫では清張に「ま-1」という著者番号を割り振っていて、作品番号は64まである。抜けている番号は改版で変更になったり、絶版になったりしたものだ。このうちの一部は電子書籍として発売されているが、今回は触れない。

 他社の文庫で最も清張作品が多いのは文春文庫の四十冊だが、『昭和史発掘』などのノンフィクションが多く、小説に関しては新潮文庫がダントツだ。ロングセラーや映像化された作品が多いのも特徴だ。清張の小説の全体像を知るためには新潮文庫が最適なのだ。

 しかし、清張のデビュー当時、新潮文庫との縁はそれほど深いものではなかった。同社が初めて刊行した清張作品は、一九五六年の「新潮小説文庫」の『乱世』だった。このシリーズは文庫とうたいつつ新書サイズに近い判型で、新書ブームに乗って一九五五年に創刊された。五七年には同シリーズで『佐渡流人行』も刊行されている。

 単行本としての最初は、一九五八年刊の『小説日本芸譚』。「芸術新潮」の依頼を受けて、運慶、世阿弥、千利休ら芸術家の人間像を描いたもの。この連載がいかに大変だったかは、最終回の止利仏師が「小説として書けなかった」経緯を書くという、一種のメタフィクションになっていることからも見て取れる。同作は、一九六一年に栄えある清張作品の一冊目として新潮文庫に入った。

 この頃には『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』などの社会派推理の代表作が刊行されているが、それらは光文社の単行本かカッパ・ノベルスだった。短編集の文庫化も角川文庫が最初(一九五八年の『或る「小倉日記」伝』)で、新潮文庫に主要作が入りはじめるのは一九六五年以降だった。

 なお、それより早く一九六二年には『かげろう絵図』上・下が新潮文庫に入っているが、現在、それに該当する作品番号はない。この時期には著者や作品を番号で整理する制度はまだなかったのだろうか。

新潮社 波
2022年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク