環境問題として考察した「感染症」と「戦争」 生物学者・池田清彦さんが語る

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年寄りは本気だ

『年寄りは本気だ』

著者
養老 孟司 [著]/池田 清彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784106038860
発売日
2022/07/27
価格
1,705円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

環境問題を考えたらこうなった

[レビュアー] 池田清彦(早稲田大学教授)


池田清彦さん 撮影:新潮社写真部

養老孟司との共著『年寄りは本気だ―はみ出し日本論―』を刊行した生物学者の池田清彦さんが、環境問題として考察した「感染症」と「戦争」について論じた記事を紹介する。

池田清彦・評「環境問題を考えたらこうなった」

養老さんと対談をして本にまとめようという話が持ち上がったのは、4年ほど前のことで、実際何回か対談をしたのだが、話題が多岐にわたってなかなか収拾がつかなかった。そうこうするうちに、2020年になって新型コロナウイルスによるパンデミックが始まって、あまつさえ、養老さんは心筋梗塞で入院。幸い一命はとりとめたものの、対談の企画は滞ったままだった。

2021年の秋に、パンデミックが小康状態になった頃、やっと環境問題を軸に対談をまとめようかという話になったところで、2022年になるや否や、オミクロン株が大流行し、踵を接してロシアがウクライナに侵攻するという驚天動地の事件が勃発した。これらを踏まえて、急遽追加の対談を行って、やっと出来上がったのが『年寄りは本気だ はみ出し日本論』である。

というわけで、対談は新型コロナのワクチンとウクライナ紛争の話から始まる。感染症や戦争は環境問題ではないだろう、と思っている方もいるでしょうが、「人間の活動によってもたらされる災厄」を広義の環境問題と呼ぶならば、「感染症」や「戦争」も立派な(?)環境問題なのだ。

約1万年前まで、人類が狩猟採集生活を送っていた頃、人類に固有の感染症はなかったし、恐らく戦争もなかった。ヒトからヒトに感染する人類に固有の感染症が存在するためには、ある一定数以上の人口を擁する集団の存在が不可欠だ。ところが狩猟採集生活を送っていた頃の人類は50~100人程度のバンドと呼ばれる集団で暮らしており、他のバンドと接触することも滅多になかった。

例えば、ヒトからヒトへと感染する能力を持ったウイルスが現れて、バンドに侵入したとしよう。密なコミュニティであるバンドの成員はほとんど全てこのウイルスに感染して、あるものは命を落とし、あるものは治って免疫を獲得し、しばらくすれば、集団からウイルスは消えてしまう。ウイルスが存続するためには感染者が誰かにうつす必要があるが、その誰かはもはや集団の中にはいないのだ。

人類が農耕を始めると定住人口は徐々に増え始めて、他の集団との交流も始まったろう。こうなって初めて人類固有の感染症が存続可能となる。人類固有の感染症は人類の生活用式の変化によってもたらされたのだ。もちろん最初の頃は現在のようなパンデミックはなかった。人類が歩行以外の移動手段を持たなかった頃、病原体の伝播速度もまた歩行速度以上ではなかったからだ。そう考えれば、79億の世界人口と交通網の発達がパンデミックの原因なのは明らかだ。CO2の人為的な増加が地球温暖化の原因だという怪しげな話と違って、これには疑問の余地がない。

戦争もまた、元々は環境問題であった。農耕を始めると、穀物を貯蔵できるようになり、狩猟採集時代とは比べ物にならない位の人口を養えるようになった。しかし一度飢饉に襲われると、食料が圧倒的に足りなくなり、集団間で貯蔵穀物を奪い合う戦いが始まり、恐らくこれが戦争の起源であろう。農耕と人口増が初期の戦争の原因であったことは間違いない。近現代の戦争は食料よりもむしろ化石エネルギーなどの資源争奪戦の様相を呈しているが、これもまた人類が化石エネルギーに頼る生活を始めたことによる広義の環境問題なのだ。

 戦争は人間の活動による災厄であることは間違いないとしても、他の環境問題とは全く異なる側面もある。戦争には人口や食料といった生態学的な見地だけからは読み解けない「同一性」の問題があるからだ。ヒトは自分の頭の中にある同一性を守ろうとする不思議な習性を持つ動物なのだ。それはヒトだけが言語を持ち、概念を捏造することと関係している。

この世界の現象はすべて連続的だ。ヒトは連続的な現象を恣意的に分節して何らかの同一性を捏造する。太平洋戦争中の日本人の一部は国体を守るために命を懸けた。国体って国民体育大会じゃないよ。国体とはそれを守ろうとしている人の頭の中にある概念である。もっとはっきり言えば妄想である。おそらく、今のプーチンも「ロシアの国体」を守るべく戦争をしているのだろうと思う。もちろんそれも妄想である。

私は妄想を馬鹿にしてこのことを言っているのではない。すべての概念は恣意的に分節された同一性、すなわち究極的には妄想なのだから、人は妄想なしには生きていけない。問題は人によって同一性が異なることだ。さらに問題なのは多くの人は自分の同一性こそが最も正しい同一性だと信じていることだ。戦争も差別もすべてここに起因する。

世界中のすべての人の同一性をそろえてしまえば、世界は平和になるだろうが、言語も文化も違うのでそれは不可能だし、そもそも、多様性がなくなって面白くない。せめて、自分が信じる同一性も所詮は妄想だということを理解して、今の時点で最も合理的な妄想は何か、と考える人が増えたら、世界は多少は真っ当になるだろう。この対談からそのことを読み取ってくださるなら、嬉しい限りである。

新潮社 波
2022年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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