大久保利通の「冷酷なリアリスト」という評価は正当なのか? 定説を覆す大久保論の決定版

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大久保利通

『大久保利通』

著者
瀧井 一博 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/伝記
ISBN
9784106038853
発売日
2022/07/27
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

現実と切り結ぶ「円の中心」を見つめて

[レビュアー] 待鳥聡史(京都大学教授)


大久保利通

国際日本文化研究センター教授の瀧井一博さんによる選書『大久保利通―「知」を結ぶ指導者―』が刊行。「冷酷なリアリスト」という評価される大久保利通の定説を覆し、「知の政治家」としての新たなイメージを浮かび上がらせた本作について、京都大学教授の待鳥聡史さんが解説する。

待鳥聡史・評「現実と切り結ぶ「円の中心」を見つめて」

 維新の三傑といわれるが、木戸孝允や西郷隆盛と比べて、大久保利通の印象は鮮烈ではない。木戸は俊英にして激情家という二面性を持ち、それによって長州藩出身者などの後進たちにも多大な影響を与え、また没後には顕彰された。西郷は人望厚き軍事的天才として、また西南戦争における潔き敗軍の将として名を残した。

 これに対して、大久保には冷徹といった形容がついてまわり、彼が不平士族を弾圧した後の明治政府には、有司専制という批判も浴びせられてきた。そして、専制的な大久保自身は政策論に乏しく、内務省などでは十分な成果を挙げられなかったとも指摘される。

 しかし、本書の著者である瀧井一博氏は、大久保を魅力なく描く見解はその才気や人望に注目しすぎており、とくに内務省を率いて勧業を重視した時期の彼は過小評価されているのではないかという。このような立場から、本書は大久保を伊藤博文に先立つ「知の政治家」として描き出す。

 大久保は、幕末維新期という秩序の大変革期の政治指導者であった。錯綜し複雑を極める対立構図の中で、政局判断が優先され、時には権謀術数を駆使して政敵を打倒する必要もあった。だが、そのことは彼に理念や思想がなかったことを全く意味しない。むしろ、理念的な一貫性があったがゆえに、現実には相矛盾するような行動をとる場面が生じたというべきなのである。

 瀧井氏は膨大な史料や先行研究を渉猟し、具体的な行動や発言を跡づけながら、大久保の思想を析出する。その中核には、「公論」が支える君民共治の国民国家像があった。「公論」は義や理にかなった物事の考え方であり、「衆議」「大勢」「因循」などと対比される。義も理もなく、激情や扇情によって形成された一時的な多数を恃む立場、陋習を墨守するだけで新しい環境や考え方を拒絶する立場を、大久保は一貫して忌み嫌った。

 大久保のみならず、重要な維新指導者において「公論」が重視されていたことは、伊藤之雄氏などによる最近の研究でも注目されている(*)。しかし「公論」の内実は指導者それぞれに異なっており、瀧井氏が注目するのは、そこでの大久保の独自性である。

「公論」に依拠した統治のあり方を重視する立場は、ルネサンス期以降の西洋思想史において共和主義と呼ばれる理念と重なる。五代友厚らによってもたらされた薩摩藩の豊富な外国政治知識に言及しつつ、元々は列藩諸侯による会盟政治を指す「共和」に「義と理の政体」を読み込み、明治維新を「共和革命」だとする瀧井氏の見解は、もちろんこの点を踏まえているのだろう。

 では、そのような「公論」はいかにすれば形成されるのか。それは身分や地位ではなく、義や理を追求しようとする姿勢、すなわち「知」を持つ人々の相互作用によってである。このような相互作用を可能にするつながり、言い換えれば「知のネットワーク」の構築こそ、薩摩藩内で、長州藩などと連携した倒幕の過程で、王政復古後の新政権で、そして内務省で、大久保が目指してきたものであった。

 内務卿としての大久保が重視した勧業も、しばしば急進的過ぎる西洋技術の導入の試みと否定的に捉えられてきたが、実際には「知のネットワーク」を社会経済に実装する企てであった。瀧井氏はそれを、西南戦争中に開催された第一回内国勧業博覧会に見出す。大久保が「内国」「博覧会」にこだわった理由を解明する本書の叙述は、通説的見解への鮮やかな反論であり、著者の真骨頂だといえる。

 大久保のこのような立場は、「公論」に背を向け「衆議」や「因循」に逃げ込む人々への苛烈な批判や排除にもつながる。共和主義者は、人数のみに依存した民主主義にも、血統のみに依存した君主主義にも批判的である。近代国家の建設初期という困難な局面にあって、大久保は本書にいう「断つ人」にならざるを得なかったのだが、それは冷徹な有司専制の権化という負のイメージにもつながった。

 国家としての近代日本は、大久保暗殺後に彼の理念を実現していった。伊藤博文による明治憲法体制の構築、渡邉洪基による国家学会を通じた「知のネットワーク」形成などは、その制度的表現であった。それぞれの具体的なありようは、瀧井氏のこれまでの著作に詳述されている。

 理念が実現されたとき、大久保が起点であったことは見えなくなる。彼は「円の中心」であるという著者の言は、明治国家を考え続けた研究者の結論のように聞こえる。

* 伊藤之雄「「公論」と近代天皇制の形成――木戸・大久保・岩倉の挑戦――」伊藤之雄(編著)『維新の政治変革と思想 一八六二~一八九五』ミネルヴァ書房、二〇二二年

新潮社 波
2022年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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