人生を勝ち抜いてきた人が、なぜか悩み苦しむ原因とは…臨床心理士と「わた定」作者が語る

対談・鼎談

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東畑開人×朱野帰子・対談/働くことの達人へ贈る「落ち込み」のススメ

[文] 新潮社

誰とでもつながることでき、多様な意見と接することができる時代なのに、孤独を感じ、自分の心の拠り所がわからなくなってしまうのはなぜか? 自由で便利だけど、悩み苦しむことも多いこの日本社会でサバイブしていくために必要なことは何か?

『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』の著者で、臨床心理士として現代人の心の問題に向き合ってきた東畑開人さんと、仕事観や人間関係、ブラック企業、孤独死などの社会問題を背景に描いたお仕事小説『わたし、定時で帰ります。』の作者・朱野帰子さんが語る。


この自由で過酷な社会を、いかに生きるか?(画像はイメージ)

自己啓発本とは別の道を

朱野 はじめまして。今日はオンラインの形で失礼します。

東畑 とんでもない。こちらこそ、お引き受けいただきありがとうございます。

朱野 新刊の『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』、とても面白かったです。「資本主義が徹底され、『小舟化』―社会学がいうところの『個人化』が極限まで進行しようとしている私たちの社会にあって、心はどのように病み、そしてどうなったら回復といえるのか」という、東畑さんがずっと考えてこられたテーマを書かれたこの本は、ポストコロナの時代に優しく寄り添ってくれる一冊だと思います。

東畑 ありがとうございます。三年間、編集者以外にはほとんど見せずに書いたものだから、どんなふうに読まれるのか、とても気になっていました。そう言っていただけて安心します。

朱野 実は『心はどこへ消えた?』(2021年)を近所の書店で手に取って以来、東畑さんのファンなんです。コロナ禍が始まってからの不安や、危うい気持ちが、言語化できた気がして。東畑さんのご著書はいつもご自身のお話から始まりますよね。だから柔らかに内容に入っていける。どの言葉が効いているのか、わからないんですけど、読んでいるだけで、なんとなく気持ちが楽になっていきます。

東畑 心ってそういうものなのかもしれないです。そう感じてもらえたならとても嬉しいです。

朱野 今回の新刊は、特に「働く人」に向けて書かれているようにも感じられました。

東畑 都市で臨床心理士をしていると、「働く」は心にとって切実なテーマです。資本主義の文化の中で生きていかないといけませんから。

朱野 序盤に、悩める人が手に取ることが多い本がいくつか出てきますよね。その中に自己啓発本がありました。自己啓発本ってなにかと揶揄されがち、侮られがちですが、この本ではそうではなかったのが、悩める「働く人」だった私にとってはとても嬉しかった。

東畑 僕自身、読むと元気になるから、ああいった本が好きなんです。それに、自己啓発本はカウンセラーにとってはライバル的存在だとも思っています。

朱野 自己啓発本がライバル?

東畑 自己啓発本って、生き方を探しているときに手に取るものですよね。彼らは根源的なところで内省作用を求めていて、本を探しているのだと思うんですね。それはまさにカウンセリングに来る人たちが求めていることです。

朱野 確かに、自己啓発本を手に取るのは、現代をどう生きればいいのか、新しい生き方を探している人たちですよね。

東畑 そもそも、すべての本はセルフヘルプのために読むものですよね。自分を助けるために、本を読む。ただし、どういう風に生きていけばいいかの方向性の違いによってジャンルが分かれていきます。この場合、自己啓発本は読む人を元気にする方向ですね。上げていく。では僕の専門であるカウンセリングはどうだろうと考えてみると、これは逆に落ち込むためにやるものなんですよね。

朱野 落ち込むためにですか。

東畑 そう、ちゃんと落ち込むため。一昔前には、例えば河合隼雄など、生き方を語る本が書店にたくさん並んでいた。それらはテンションを上げるというより、少し下げて、時間の流れを遅くして、自分自身のことを深く考えていくことを狙ったものです。

朱野 河合隼雄の本は私もたくさん読みました。刊行当時に流行していたいわゆる生き方本とかに、擬態している感じが面白いですよね。でも気休めではなく、心の奥に迫ってくるところがある。読者のこうあらねばならぬという思い込みを疑わせていく。わりと恐ろしいことをしているなと思います。

東畑 河合隼雄は尋常ではありません。専門に勉強して、裏を知り尽くしている僕ですら、油断するとほっこりさせられてしまう(笑)。

朱野 例えば『こころの処方箋』(1998年)では「ふたつよいことさてないものよ」と語る一節がありますよね。河合隼雄の語り口は、おじいちゃんの知恵袋のように優しいんだけど、私のようにすべてをコントロールしたい人間に何かを突きつけてくる。子育てをしている時にあれを読んだんですけど。

東畑 人間は複雑だ、というのが彼の基本メッセージですよね。だけど今日ではそうしたものが減り、考え方をシンプルにして、バリバリと生産性を上げるための本が増えました。落ち込むことの意義が社会で見失われているように思います。だからもう一度、落ち込む系の本を書きたかった。自己啓発本が勧める方向とはまた別の道もあるよ、と伝えたかったんです。

朱野 今は自己啓発本を手にしているけれど、本当はきちんと落ち込んだほうがいいかもしれない人たち。彼らのために、この本は書かれているんですね。


東畑開人さん(撮影:新潮社写真部)

「働くこと」に憑依される

東畑 東京でカウンセリングをしていると、「働くこと」に憑依された人がとても多いように感じます。

朱野 憑依とはまたすごい言葉ですね!

東畑 資本主義の副作用なんでしょうね。「働くこと」のロジックで、生活のすべてを染め上げられている人たちです。それはただ忙しいということではなくて、内面の深いところにまで「働くこと」が入り込んでいるんです。

朱野 今回の新刊で、実際のカウンセリングの例として出てくる、ミキさんという女性は、常にPDCAを回して生きている。「働くこと」に憑依されたキャリアウーマンですね。

東畑 まさにそうですね。ものすごくハイパフォーマンスで、社交性もある。働くことの達人です。だけど、仕事に関係のない親密性の領域、例えば家族関係や夫婦関係になると、ひどく難しいことが起きてしまう。

朱野 仕事はできるのに、プライベートでは上手に振る舞えないんですね。

東畑 そういう人たちの話に耳を傾けていると、彼らの中では発達した部分と未熟なままの部分とが分離して置かれているなと思います。朱野さんのご著書『わたし、定時で帰ります。』(2018年)に出てくる種田晃太郎という人物なんて、まさにいい例です。

朱野 主人公の結衣の、元恋人兼現上司というキャラクターですね。

東畑 彼は結衣との間に親密な空気が流れると、反動のようにつっけんどんな態度をとり、仕事に話を戻します。本来武装解除すべき親密な空気の中で、突然突き放したり、上司と部下の関係を持ち出してきたり、二人の仲を破損するようなことをするんです。きっと他人と親密になることから逃げてしまうんですよね。結衣にもそういうところはあるんだけど、晃太郎の方がだいぶ重症だと思いました。

朱野 重症……。でも晃太郎に共感するという同年代の男性読者って結構いるんです。保育園仲間とバーベキューをしていたら、パパ友の一人がすっと寄ってきて、「晃太郎は僕です」と言って去っていったり。

東畑 いいですねぇ。

朱野 それ以外、何も言わないんです。とても優秀で激務なビジネスパーソンなんですが、日頃出せない思いを、晃太郎に重ねてくれているようです。私自身も同じです。仕事人間的な部分が、種田晃太郎というキャラクターにはそのまま投影されてます。

東畑 朱野さんの中にも晃太郎がいるんですか。

朱野 はい。例えば私、育休も産休もほとんど取らなかったんです。

東畑 ええっ! そんなこと可能なんですか?

朱野 連載も休まず、家事も育児も休まず、やっているうちに、希死念慮に悩まされるようになって。そんなときに書いたのが、『わたし、定時で帰ります。』です。

東畑 そんな状況であの小説を書かれていたんですか!?

朱野 二人目の出産前日深夜にプロットを書き上げて編集者に送り、早朝に病院に行きました。今思うとおかしいですね。でもそういう時に、結衣というキャラクターがプロットに出てきたんです。今まで思ったこともないようなこと、「休んじゃえばいいじゃん」って台詞を喋り始めたんです。

東畑 突然、出てきたんですか。

朱野 どういえばいいんだろう……。きっかけは担当編集に「主人公はもう少しゆるくてもいいんじゃないですか」と言われたことでした。正直、私はそういうキャラクターが全然好きじゃなかった。それでも、「定時で帰るキャラクター」を無理やり設定してみたら、書くのがものすごく楽しかった。だって彼女、何を言われても定時に帰るから。

東畑 読んでいて、どうして結衣はこんなに定時に帰りたがるんだろうと不思議に思っていたんです。でもお話を聞いていて少し分かった気がする。彼女は朱野さんを休ませに生まれてきたのかもしれないですね。

朱野 物語の中では彼女を定時に帰らせまいとするさまざまな敵が現れる。あれも私自身なんです。定時で帰る陣営は劣勢なんだけど、それでも結衣は帰ろうとする。頭の中で、複数の私が戦ってる感覚でした。あの本を書くのは、自分で自分をカウンセリングするような体験でした。

東畑 実際そうなのでしょう。結衣は朱野さんを「働くこと」から救いにきたのかもしれません。


朱野帰子さん

余裕がない中で愛するために

朱野 新刊に「人生は複数である 働くことと愛すること」という章がありますよね。私の父は、あそこで描かれているような、仕事面では完璧だけどプライベートはうまく立ち回れない、典型的な仕事人間でした。バブル崩壊をサバイブしたタフな人なんですが、職場での働き方を私生活にも投影してしまうんですよね。

東畑 経済が落ち込むと、人は自己コントロールを徹底することで、どうにかしてサバイブしようとします。産業カウンセリングの多くで認知行動療法(編集部注:物事に対する認知や行動に働きかけ、ストレスの軽減などを目指す精神療法の一種)が広く普及しているように、厳しい環境で働くには自分をコントロールすることが必要になります。

朱野 東畑さんは、心の衝動とそれを制御する自己を「馬とジョッキー」の関係に喩えて書いていましたね。経済の危機をサバイブする場面では、ジョッキー、つまり制御する自己が優先されるわけですね。理性で感情を抑え、物事をコントロールしようとする。

東畑 そうです。ですから、そういうシビアな世界で、コントロールとは違う形で、心の深いところ、馬の部分を扱う意味を今回はきちんと書いてみようと思いました。深層心理学的なカウンセリングを生業にしているわけですから。それで思うのが、自分や他者をコントロールするのではうまくいかないことが、誰の人生にも存在していることです。子育てがいい例です。子供はコントロールしようとするほど、どんどんいうことを聞かなくなっていく。

朱野 ジョッキーからすれば、効率性が維持できないのはとても困りますね。

東畑 だけど、そういうコントロールの及ばないものを切り捨ててしまうと人は孤独になります。アンコントローラブルなものと付き合い続けることこそが愛することだし、他者と一緒にいることだと思うんですね。その方法を共に探すことが、心の深いところを扱うことの意味なのではないかと感じます。

朱野 『わたし、定時で帰ります。』の終盤で、主人公の結衣が父親に「お父さんの人生があったから、私の人生があるの」と言って、父の考えを拒絶するシーンがあります。この言葉は、書きながら自然に出てきたものなのですが、気づいたら涙が出てて……。

東畑 ご自身の経験とリンクしたのでしょうか。

朱野 そうだと思います。父はバブル崩壊後の社会で生き残れるように育てるため、私を愛さないようにしていたけれど、私は子供を愛したかった。結衣が、自分と父は違うんだ、と言えたことで、私自身も愛したいという気持ちに気づくことができたように思います。

東畑 ご自身の中の深いところと、向き合えたわけですね。

朱野 そうなんです。書いた直後は吐き気に襲われて、体調を崩してしまった。それくらい抑圧していた思いなんですよね。

馬が「もう走れない!」と叫んだ

朱野 実は私、昨年の秋頃から小説を書けなくなってしまっているんです。

東畑 えっそうなんですか。書けないというのはどんなふうに?

朱野 机の前に座っても何もでてこないんです。私にとって小説は、登場人物に気持ちを乗せていく重たい感情労働なんです。書きながら泣いたり怒ったりもします。そうした感情がいっさい出てこなくなった。

東畑 書く以外のことは、問題なくできているんですか。

朱野 感情を伴わない、小説以外の執筆ならできます。知り合いに頼まれてビジネス記事の構成をしたりもしました。ただ感情だけが出てこない。コロナ禍で、医療従事者のバーンアウトが続いているという記事を読みましたが、それに少し似ている感じがします。他人の感情に寄り添いすぎて、自分の感情が枯渇してしまったのかも。

東畑 どうしてそうなったんでしょう。

朱野 三年前に『わたし、定時で帰ります。』がドラマ化されて、世間への露出が大きく増えました。小説家としてはありがたいのですが、巨大なプレッシャーも生じました。関わる人の数が一気に増えて、評価も押し寄せてきて、たくさんの感情の波に飲み込まれてしまった。彼らの気持ちを先回りして慮ろうと必死にやっていたら、昨年の秋に突然書くことができなくなったんです。私の中の馬が突然「もう走れない!」と叫び出した。

東畑 ああ、そうだったんですか。

朱野 そうなるまで、自分は傷だらけだってことを誰かに言うことはできなかったんです。弱音を吐くと「勝ち組なのに」「甘えている」「業界を支えてくれ」と言われそうで。出版不況の中、売れた作家ほど追いこまれていく状況があるんじゃないかとも思いました。

東畑 僕は今回の本を書きながら、そういった一見強そうな、自立した人の中にある傷ついた部分を語る言葉が貧しいのだなと思いました。たとえば、ここ数年、「ケア」論がブームでしたが、僕の『居るのはつらいよ―ケアとセラピーについての覚書』(2019年)もそうであるように、そこでは働くことの外側、あるいはその前提として語られることが多かったです。新自由主義とはまた別のありかたを提示したという点でケア論はとても重要でした。だけど、傷つきは新自由主義の外側でのみ扱われるものではなくて、その内側でも扱われるべきだと思うんですね。

朱野 確かに。働くこととケアが一緒に語られることはあまりないですね。

東畑 競争社会でサバイブすることの副作用を言葉にするのが今回の本の課題でした。サバイブする人になるって、自分を競争社会の形にすることですから、心にとっては大変なことです。

朱野 サバイブできた、強い側の人たちにこそ、向き合うべき傷があるように思うんですけどね。

東畑 苦しみを語ることが難しいんですね。自分でもそれが普通だと思っていますから。今回の本のミキさんがそうでした。その「普通」は普通じゃないんだと、それはつらいことなんだというのが自分ではわからなくなるんですね。そして、そのサバイブするための「普通」を他者に押し付けてしまい、関係性が壊れてしまう。

朱野 しかもそこで語られる「生き抜くためのコツ」は、本当に役立ってしまうから恐ろしいんですよね。非効率な労働の強制など、どう考えても成功に結びつかない理不尽にはまだ抵抗しやすい。だけど、資本主義をサバイブするための知恵を授けられた場合は抵抗しにくい。それらが成功に結びつくものであるがゆえに、愛情さえ感じてしまう。

東畑 実際、授ける側もそれが愛情だと思っているわけだから、誰も気づけないですよね。そのうちに、勝ち抜くための論理を心の全体に適用してしまう。

朱野 大学受験でいくつか合格判定をもらった後、父に言われたことがあるんです。「早稲田大学なら誰もが知っている。ブランド力がある」って。実際そうなんですよね。だから早稲田に行ったんですけど、でも、もしかしたら私には別の大学に行きたい気持ちもあったのかもしれない、と今になって思うんです。父は「この大学に行け」とは言わなかった。ブランド力について語っただけ。それに自分は適応してしまったんです。

東畑 本人の体験に基づく説得力がありますからね。実際、社会にはそういう厳しい側面もある。そして、すごくシンプルに語られるのも特徴です。なんでも経済的価値に還元すると、汎用可能性が出てくるんですね。ビジネス書を読んで気持ちが昂るのは、そこで得られる市場競争的な論理が、複雑な世界をシンプルにしてくれるからですね。そういう意味では、オンラインサロンも、とても面白く感じます。

朱野 えっ! 東畑さん、オンラインサロンに入っているんですか?

東畑 興味があって、あるビジネスマン系のものに一時期入ってみたんです。すごく面白かったですよ。「市場競争じゃないものが、市場競争のメカニズムで読み解ける!」みたいな謎解きメッセージが、毎日届くんです。これが元気が出るんですよ。すべてがゲームみたいに思えてきて、俺もやれるぞみたいな気持ちになるんですね。

朱野 ゲーム……。そういえば大学受験の時に先輩に「受験ってゲームだから」って言われたことがあるな。そう言われたら面白くなって、一時間単位のスケジュールを一年分組んで、それを着実にこなしました。そしたら結果がついてきて。だけどそれは、現実をゲームだと思い込み、感覚を麻痺させてただけなのかも。自分の中の柔らかい部分を切り捨てて、傷つかないようにしていたのかも。これはゲームなんだという逃げ道を作ることで、何が何でも勝たなきゃいけないという世界にいる自分の本音を感じないようにしていた。

東畑 でも、オンラインサロンは大変だと思います。ずっとコンテンツを提供し続けないといけないですからね。人間、そんなに毎日新しいものを生み出せないじゃないですか。だからしばらくすると、「あ、また同じこと言ってる」となっちゃうんですよ。そういう意味で、本はいいなと思いました。書けない日があっても、基本的には人に迷惑かけないから、ゆっくり時間をかけることができる。

社会とつながりたいのかもしれない

朱野 この本を読んで私は、自分の中のあいまいな部分を語る言葉が増えたような気がしています。それは弱さを語る言葉なのかもしれない。

東畑 そう言ってもらえると、ありがたいです。

朱野 あまりにいろいろ感じたので、今日は喋りすぎてしまいました。それと、今回の新作の冒頭で、東畑さんがご自身について「三十九歳中堅心理士」と綴っていましたよね。最後まで読んだあとにもう一度その言葉を目にして、すごく心に響いたんです。

東畑 なんだか恥ずかしいな!

朱野 三十九歳くらいになると、自分のカードがだいたい出揃うじゃないですか。この世界でチートすることはたぶんないなって気づく。「実はすごいやつだった!」なんてことも起きない。若いころに夢見たかっこいい社会人にもなれてない。さあここから手持ちのカードだけでどう進んでいこうかと、一人で悩まなきゃいけない時期ですよね。とても孤独だし、社会の役に立ちたい、という気持ちも出てくるように思います。

東畑 いよいよ社会について考えるタイミングにさしかかるわけですね。

朱野 「心と社会が深くつながるのが中堅だ」という言葉を見たときに、ホントだな、と思いました。

東畑 僕は昨日、ちょうどボランティアについて考えていたんです。どうして僕たちはボランティアに参加するんだろう、と。だって自分は第三者で当事者じゃないし、だからこそ切実じゃないし、もちろんお金になるわけでもない。それでもやりたくなるのはどうしてなんだろう、と。

朱野 確かに。どうしてなんでしょう。

東畑 うまく言えないんですけど、社会に関わることを求めるときってあるんじゃないかと思うんですね。キャリア的には自己実現ではないし、お金にもならない。でも、「社会なるもの」に関わることそのものに報酬があるというか。自分が社会の一員だということを、ボランティアを通じて、実感するのだと思うんです。それって、実は僕らが仕事を頑張る理由の中にもひっそりと含まれているように思う。本を書いたり、カウンセリングをしたりするのは、目の前の読者やクライエントのためでももちろんあるんですけど、同時にそういうことを通じて、社会とつながるという報酬があるように思うんです。

朱野 わたしが書けなくなった要因の一つもそこにあるのかも。社会に対して責任を持つには、自分の傷をなかったことにできない。でないと、他者をも愛せない。だから今、苦しかったことや辛かったことと向き合おうとしているのかもしれません。

東畑 「社会」って小学校の道徳の教科書に出てくるような薄っぺらい言葉に感じていました。でも大人になってくると、それが謎に満ちた言葉に見えてくるんですね。不思議な感覚です。社会とかかわる、というのは。

朱野 そういうことを語っていくことが、私たち中堅が社会にできることなのかもしれませんね。少なくとも私は、東畑さんの言葉に支えられました。

東畑 とりあえず朱野さんは休んだほうがいい!

朱野 結構休みましたよ。でも気づくとジョッキーが勝ってしまうから、気を付けます。

東畑 朱野さんにもジョッキーにも、ぜひゆっくり羽を伸ばしてもらいたい。自分の思い通りにいかないときって、ようは馬の声を聴け、と言われているということです。

新潮社 小説新潮
2022年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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