戦争に突き進む時代を彩る興行界の光と影『愚者の階梯(かいてい)』松井今朝子さんに聞く。

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愚者の階梯

『愚者の階梯』

著者
松井, 今朝子, 1953-
出版社
集英社
ISBN
9784087718034
価格
2,090円(税込)

書籍情報:openBD

戦争に突き進む時代を彩る興行界の光と影『愚者の階梯(かいてい)』松井今朝子さんに聞く。

[文] 内藤麻里子(文芸ジャーナリスト)

戦争に突き進む時代を彩る興行界の光と影

松井今朝子
松井今朝子

『壺中(こちゆう)の回廊』(二〇一三年)、『芙蓉(ふよう)の干城(たて)』(一八年・翌年、渡辺淳一文学賞受賞)に続く、歌舞伎ミステリーの第三弾『愚者の階梯』が九月五日に刊行されます。三部作の堂々完結です。役者の階梯(階段)、会社の階梯、国の階梯が響き合う中で、人々の思惑が交錯する物語の幕が開きます。表では光を放つ興行界にさす影と、戦争に突き進む昭和初期という時代について、伝統芸能を書かせたら当代一の著者にうかがいました。

松井今朝子
松井今朝子

「恐竜」から「コモドドラゴン」へ

―― 『愚者の階梯』の舞台は昭和十年(一九三五年)です。五代目荻野宇源次(おぎのうげんじ)の成長が楽しみな歌舞伎界ですが、一方ではキネマ(映画)が上り調子です。歌舞伎の殿堂、木挽座(こびきざ)を運営する亀鶴(きかく)興行も、早くから映画界に進出しています。まずは、この頃のキネマの状況をお教えください。作中では大河内伝次郎(おおこうちでんじろう)、嵐寛寿郎(あらしかんじゆうろう)ら、銀幕の「スタア」と呼ばれた人々の名前が出てきます。

 トーキー(発声映画)がようやく根づいて、隆盛になっています。その象徴として最初にお金の話を書きました。(師匠に破門され、歌舞伎界から飛び出した登場人物の一人)荻野寛右衛門(かんえもん)が、新聞の長者番付を見て、大河内伝次郎に四十万円もの資産があると知って仰天するエピソードがあります。長者番付は当時の新聞に本当に載っているんです。映画俳優の資産がすごいことになっているなんて記事が出るほどなので、映画界が経済的に非常に潤っていた時代だと思うんです。それを背景に現代劇にも、時代劇にも、一斉に銀幕のスターが出てきました。

――一方で歌舞伎が娯楽の王様ではなくなっていくんですね。

(三部作を通して、歌舞伎界の女帝として君臨する)六代目荻野沢之丞(さわのじよう)は代々木に三千坪の邸宅を構えています。この人のモデルになった五代目中村歌右衛門は、実際にそういう大邸宅に住んでいたそうです。かつては歌舞伎役者でトップになれば、それくらいの稼ぎがあったけれど、娯楽の王座から陥落していくと、そんな人はもう生まれません。
 江戸時代の歌舞伎は“恐竜”だと思うんです。その頃はスターとして興行的価値のある人も何もかも歌舞伎が牛耳っていた。現在ですと例えばスポーツも娯楽の一つで、野球なら大谷翔平というスターもいる。現代の歌舞伎は“コモドドラゴン”。トカゲのでかいのみたいなもので、恐竜の時代とはスケールが違うんだと、私はよく言うんですけどね。

―― 本作は江戸の狂言作者、桜木治助(じすけ)の末裔にして大学講師、劇評も手掛ける桜木治郎(じろう)が水先案内人となるシリーズです。治郎の妻の従妹、大室澪子(おおむろみおこ)は、この三作目で、なんと寛右衛門と駆け落ち同然に所帯を持ったばかりか、映画に出演することになりますね。

 澪子は前二作で左の思想にも、右の思想にも触れています。治郎の視点からは「女は気楽でいいや」などと見られていたんですが、第三作ともなれば彼女も勝手に成長しているわけで、最後には治郎から認められるような書き方をしたつもりです。ちなみに、映画で澪子が相手役を務める大スター、宇津木典英(うつぎのりひで)にはモデルがいまして、鈴木傳明(でんめい)という俳優です。とてもバタ臭い顔をしていました。彼だけでなく、当時は(ルドルフ・)ヴァレンチノばりの俳優がたくさんいたんですよ。

浮かび上がらせた興行、経営面

―― そんな中で、木挽座で亀鶴興行の専務取締役、川端繁之(しげゆき)の死体が発見されます。シリーズ前二作では、まず殺されるのは役者でした。今回は経営陣ですね。

 芝居というのは表の役者だけで成り立つわけではなく、裏方がまたすごく大事です。芝居の好きな人でもあまり見えていない興行、経営的な面をあえて描こうと思ったんです。今回、役者については映画界に任せてしまおうと(笑)。
 亀鶴興行はもともと関西から東京に進出した設定です。大正後期のスペイン風邪、関東大震災を経て東京でうわっと大きく成長します。関西にも地盤があるため、そちらで芝居ができ、資金調達が可能だったから震災後の浅草あたりの映画館、芝居小屋を手中に収めていくことができたという足跡をたどらせました。興行におけるこうした運、不運は誰が悪いということではなしに、起きるものなんです。自然のなせる業とでも言いましょうか。そして近代化を考え、株式会社に組織改革していくことになります。そんな、興行界に散見される歴史の数々を亀鶴興行には託しました。

―― 事件は満州国皇帝溥儀(ふぎ)を木挽座に迎えた際に、上演した「勧進帳」のセリフが不敬だと難癖をつけられたことから始まります。川端専務の死は、その心労の末の自殺かと当初は思われます。

 最初に木挽座に不敬だとねじ込んできた箕輪志辰(みのわむねとき)という人物にもモデルがいるんですよね。「勧進帳」も実際に戦時中、改訂されていたことがあったんです。だからやはりケチがついたんだなと思いまして。東大寺再建の寄付を募る山伏一行と偽った弁慶が勧進帳を読みあげる件(くだり)で、「(聖武天皇が)最愛の夫人に別れ追慕止み難く」とあるのですが、光明皇后は聖武天皇より後に亡くなっているのに、すでに亡くなっているように書かれているから不敬だと言わせることにしました。

転換点としての天皇機関説問題

―― この三部作は最初が昭和五年、次作が昭和八年と、戦争に向かう足音が聞こえる社会を背景に描かれています。今回の『愚者の階梯』は昭和十年、翌年に起きる二・二六事件の前夜です。「不敬」ということが盛んに言われ始め、非合法の共産党員の取り締まりも厳しくなる。美濃部達吉・東京帝国大学教授の天皇機関説問題も起きました。

 現代ではそんなに言及されませんが、実は天皇機関説を糾弾したことは大きな問題だと私は考えているんです。「国家を一つの巨大な法人とすると、大日本帝国憲法はその最高意思決定機関を天皇としている」という天皇機関説は、当時の法曹界の常識だった。それなのに、いきなり非難が巻き起こったんです。憲法で天皇に主権があると認めていたことを否定し、超法規的な存在にしてしまった。天皇は神だから、神聖侵すべからず。その後、国体明徴の訓令が通達され、右傾化が進んでいく。日本は西洋とは違うから、天皇を法律の中で解釈してはいけないと言ってしまうわけです。そうすることで、はっきりと日本が世界の常識からこぼれ落ちていく。この点はしっかり認識しておいた方がいいと思います。

―― なにか、現在と二重写しになって見えますね。

 もともと天皇機関説を取り上げようと思ったのは、連載前に日本学術会議の会員の任命拒否問題が起きたからです(二〇二〇年九月)。割とみなさん無視しているけれど、この学術会議の件は大変な問題なんじゃないか。首相が任命すると言っても形式だけだという従来の見解を変え、推薦された候補を拒否するなんて、やってはいけないことなのではないかと思ったんです。
 前作の『芙蓉の干城』のときに、滝川事件にちょっと触れました。京都帝国大学の滝川(幸辰(ゆきとき))博士の刑法論が共産主義の内乱を肯定すると見られ、文部省が罷免要求したんです。このときは、京大は全学立ち上がって反対運動が起きたのに、美濃部さんのときは、誰も守ってあげなかった。それまですべての法律家が美濃部説をもとにし、警察から官僚から何からの絶対的権威だった美濃部説が、不敬罪に問われる。その変転が、あっという間に起こるのはものすごいことだと思いました。新聞を読んでよくわかりました。

―― 当時の新聞を読まれたんですね。

 そうです。騒ぎの最初の頃は、美濃部博士は天皇機関説の批判に対して、堂々と論破しているわけです。それで落ち着いたのかなと思ったら、あれよあれよという間に貴族院の菊池武夫議員ら、軍人上がりの右翼の人たちが不敬だと主張してやまず、しかも声が大きくて、世論が引きずられていく様子が、新聞を読んでいると驚くほどよくわかります。
 昭和十一年に美濃部博士は右翼に命を狙われ、撃たれてしまいます。その数日後二・二六事件が起き、この事件を機に軍部の暴走を止められなくなったというのは定説ですが、その前に天皇機関説問題があった。しかも当時のインテリが誰もことの成り行きを止められなかった。やはり日本の変わり目の一つだと思います。その大きさについて、今私たちは知っておいた方がいい。学術会議の問題が起きたときに、そんなことを非常に強く思ったんですよね。

―― 桜木治郎が天皇機関説の報道に接して、「真っ当な知識人が影をひそめ、偏狭な日本バカが大きな顔をしだした」と嘆いています。また、美濃部博士と同じ目に遭ったら、「自分にはとても耐えきれない」と、己に失望もしています。

 インテリってなかなか世の中を動かせない。その弱さを、桜木先生を通じて書いておきたかったんです。例えば、大道具方の長谷部棟梁は、木挽座に潜伏した共産党員が川端専務殺害の嫌疑をかけられたと聞いて、「いや、それは違う。違うんだ、先生」といきり立たんばかりになる。地に足がついて仕事をしている人たちは、そういった素性を知っても今までの経験で人を見る目を持っていた。インテリのどこか頭だけで考えている弱さという点も気になるところです。
 日本がなぜ戦争に突き進んでしまったかということは、近代史の上で避けて通れない問題だとずっと思っています。このシリーズは結局、それが大きなテーマとして内在する昭和三部作です。戦争を止められなかった理由はいろいろなことが絡んでいるけれど、インテリの弱さというのも一つあったと思えるんです。

老人力と芸の力という救い

―― こういう時代相に対抗できるのが、荻野沢之丞や、長谷部棟梁といった維新の混乱から時代の変遷を乗り越えてきた老人たちですね。

 沢之丞は若い者にとっては厄介な御大(おんたい)でもありますが、「日露戦争で日本が勝って、これで世界の大国になれたと浮かれ騒いでた子供(ガキ)が大人になったから、本当にバカなんですよ」と看破したりもします。それは本当にそうだと思います。例えば、石原莞爾(かんじ)や東條英機は、すごく若いときに日露戦争の戦勝経験がある。日本はすばらしいと思えた世代の人たちが、戦争を起こしてしまうわけですよね。私の少し下の世代ですと、二十代の頃に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われて育った人たちの中に、「日本はすごいのに、今なんで駄目になっているんだ。もっと防衛費を増額して武力を持って対応した方がいい」と言ってしまう人も多いと思います。

―― 昭和十年と現代がますます重なりますね。

 私は若い頃から歌舞伎にかかわる仕事をしてきて、お年寄りとつき合いが多かった。若い女の子に対してはあまり警戒心を持たれないから、歌舞伎界のそうそうたる老人からじかに話を聞いています。だから、老人の侮れなさはやはりあるなと思うのと、年を取った人って、私が見ている日本とは全然違うものを見ていたんだなという実感があります。

―― 沢之丞らの老人力の他に、宇源次に代表される芸の力が暗い世の現実から一時でも逃れさせてくれる存在になっています。芸術、芸能の力を信じていらっしゃいますか。

 信じていますね。というのは、うちの母親が戦時中に宝塚歌劇に夢中になっていて、空襲警報が鳴ると防空壕に入り、解除されるとまた出てきて観たんですって(笑)。昭和十八年とか十九年のことです。そんなときまで観ていたんだという話を子どもの頃から聞いていますから、ぎりぎりまで娯楽や芸術を求めるのが人間なんだな、どこかで現実ではないものを求めるんだなと思っていました。
 昔の文献を見ていますと、歌舞伎も元禄地震や南海トラフの宝永地震のときでも、一か月もすると顔見世(興行)をやっているんですよ。驚きますよね。要するに、昔は木造だから、全壊してもさっさと芝居小屋を建てられるわけです。関東大震災のときでも、二年も経たないうちに、東京でも劇場を開けています。昔は、もうやるしかないというのでやってしまうし、多分そんなに難しく考えなかったと思うんです。現代の人は難しく考え過ぎてしまうのではないでしょうか。

―― そんな時代にあって、キネマの隆盛や、亀鶴興行の近代化が絡みながら、事件は復讐劇の様相を呈していきます。しかもその事件は、魔性の人に動かされたような怪しい成り行きとなります。

 本人が別に何かをしろと言っているわけではないのに、勝手に周囲が動き、誰も責任を取れないようなことをしでかしてしまうということがありますね。「忖度(そんたく)」もそうだし、ある種、天皇制がその最たるもの。最初の方に天皇機関説の話を置いたのも、最後の締め方にしても、日本の何とも言えない、中心が空っぽであるという感じ、つまり中心の意志はないにもかかわらず、そこに意志があるかのごとくみんなが行動する怖さを感じながら書きました。ある種の日本社会の同調圧力というのとは別個に、そんな病気があるような気がしています。中心にいる本人も気の毒なんだけど、そういう話ってよくありますでしょう。それを書いてみたいなと思ったんですよね。

―― これで、歌舞伎ミステリー三部作は完結しました。松井さんの作品はしっかりした裏付けと、流れるような筆運びで読ませていく、歴史時代小説の王道を行くものと思います。次にお考えのものは何かありますか。

 私も来年古希を迎えますが、やっておかなければと思うのは近松門左衛門です。近松は歌舞伎も浄瑠璃もたくさん書いているので、資料は膨大なんです。それを読み込んで書いておかなくてはと思っています。二〇二四年に近松の没後三百年を迎えるので、間に合えばいいのですが(笑)。

松井今朝子
まつい・けさこ●作家。
1953年京都府生まれ。早稲田大学卒業後、松竹入社。歌舞伎の企画・制作に携わる。97年『東洲しゃらくさし』でデビュー。同年『仲蔵狂乱』で第8回時代小説大賞を受賞。2007年『吉原手引草』で第137回直木賞受賞。著書に『壺中の回廊』『芙蓉の干城』『江戸の夢びらき』等多数。

聞き手・構成=内藤麻里子/撮影=露木聡子

青春と読書
2022年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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