『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

最後の鑑定人

『最後の鑑定人』

著者
岩井 圭也 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041111673
発売日
2022/07/29
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也

[文] カドブン

構成・文=タカザワケンジ 撮影=橋本龍二

■『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也

〈野性時代フロンティア文学賞〉受賞作『永遠についての証明』や返還直前の香港で自由を求める青年を描いた『水よ踊れ』など注目作品を発表し続け、書評家や全国の書店員たちから熱い支持を得ている新鋭・岩井圭也さん。岩井さん史上最もエンタメを意識したという意欲作『最後の鑑定人』の刊行を記念し、ベストセラーとなった『代償』をはじめミステリやサスペンスなどのエンタメ作品を世に送り出している伊岡瞬さんとの対談が実現!

■主人公がかっこいい『最後の鑑定人』と実体験に基づいた『清算』

――まずは伊岡さんに『最後の鑑定人』についての感想をうかがってもいいですか。

伊岡:ミステリで注目されがちなのは誰が犯人かですけど、『最後の鑑定人』は犯人を探すことが目的じゃない。真実を追究すること。さらに言うと、真実を追究するだけでなく、事件がなぜ起きたのかを掘り下げること。二段構え、三段構えで追究していく“最後の鑑定人”土門の姿がかっこいい──と言うと凡庸な表現ですけど(笑)。しかも土門は気負っていないですよね。淡々と獲物を追い詰めていくように行動するところが魅力的でした。

岩井:ありがとうございます。伊岡さんにそう言っていただいてホッとしました。

伊岡:岩井さんの作品は『最後の鑑定人』、デビュー作の『永遠についての証明』や、返還前の香港を舞台にした『水よ踊れ』なども読ませていただきました。
 私もいろんなジャンルに手を出してきたんですが、岩井さんも幅広くお書きですね。

岩井:一つのテーマで書くと自分の中で区切りが付いちゃうと言うか、別のことを書いてみたいなと思ってしまうんです。今回の『最後の鑑定人』はこの主人公でまた書いてみたいと思っていますが、そういう主人公は初めてかもしれません。

伊岡:私の場合は飽きっぽいと言うか。同じような話は書きたくないんですよね。よく続篇書かないのかと言われるんですけど、僕の中では終わっているので、続篇は書いたことがないんです──と思ったんですけど、いま、ちょうど初めての続篇を書いています(『痣』の続篇となる『水脈』を「読楽」に連載中)。でも続篇と言っても前の作品とは違うテーマなので、自分にとってはやっぱり別の作品ですね。ただ前に出した登場人物を出すと喜んでくれる読者もいるので、刑事や弁護士はたまに出したりしますが。

岩井:私は伊岡さんの『祈り』がすごく好きなんです。心が温まるところがいいですし、超自然的な設定を使われているところも面白いなと。

伊岡:『祈り』は僕の作品の中でも異色ですね。唯一超能力を扱ったものなので。

岩井:伊岡さんの作品は超能力を扱っていてもリアリティの手触りがあると思うんです。たとえばいま「小説 野性時代」に連載されている『清算』。もしかして伊岡さん、本当に会社の清算業務をされたのかなというくらいリアルですね。

伊岡:会社を清算したのは実体験なんです(笑)。描かれている事件はまったく違いますが。会社を閉じる時に取引先に迷惑をかけず、立つ鳥跡を濁さずが会社を清算すること。あまりそういう体験をした人がいないので書かないか、と何度も言われていたんです。でもまだ書けないなと断ってきたんですね。今回、ぜひ書いてほしいと熱心に口説かれて書くことにしたんですが、書き始めたら楽しくて。いつも話をひねり出すのが大変なんですが、今回は削るのが大変なくらいです。小説を書いていてつらいなって思うことも多いんですが、『清算』は久々に書いていて楽しいですね。

岩井圭也さん 
岩井圭也さん 

■専業作家第一弾の勝負作

岩井:小説を書くことはつらいと感じることのほうが多いですか。

伊岡:僕はつらいと感じることのほうが多いですね。嫌で嫌でしょうがない(笑)。岩井さんはどうですか。

岩井:私は好きなほうですね。実は8月から専業作家になるので、『最後の鑑定人』が専業第一弾の本になります。デビューして4年ほど経つんですが、少しずつ地盤も固まってきたと思うのと、一回本腰を入れて作家業に挑戦したくて。書くのが楽しくなかったら専業にならなかったのかも、と思います。

伊岡:私の時はいやもおうもなく専業になったんです。さっき話に出た『清算』のモデルになった会社がなくなってしまったので。その時、五十歳。微妙な年齢じゃないですか。とりあえず兼業でいこうかと思って再就職先も検討したのですが、待遇面で希望とは開きがある。それならここで専業になってみようかと妻に相談してみたら、やってみればと言ってもらえたんですよ。
 専業にはなったんですが、某社の鬼編集者──KADOKAWAのAさんですが──に二作連続でボツを食らいまして、もう書けないんじゃないかと思ったんです。その時、自分の作品に何が欠けているんだろうと謙虚になって考えました。
 どんでん返しの代名詞になるくらいの大どんでん返しか、キャラだけで話を引っ張っていけるくらいの濃いキャラか、本を投げ捨てたくなるくらいの大悪党か。この3つのどれかがあれば読者の興味を引っ張れるんじゃないか。どれなら自分に書けるかなと思ったら、大悪党なら書けそうだと。それで書いたのが『代償』なんです。
 あれは書いている途中からその鬼編集者に「傑作の予感しかしない」と言われてその気になって書きました。
 何かそういうきっかけが必要なのかも知れないですね、人間って。あの時に会社が清算されなかったら、兼業のままか、もしかしたらもう小説は書いていなかったかもしれません。

岩井:いい話ですね。私もタイミングのような気がします。妻からアドバイスをもらいましたし、ちょうど会社でやっていた仕事もシュリンクする方向だったので、妻から「一回やってみれば。ダメなら就職すればいいじゃない」と言ってもらえて。
 ですから『最後の鑑定人』がヒットしてくれないと困るんです(笑)。

伊岡:僕が読んだ限りでですけど、岩井さんのこれまでの小説と『最後の鑑定人』はちょっと違いますよね。岩井さんの小説って主人公が苦悩するじゃないですか。でも『最後の鑑定人』で苦悩するのは主人公以外の人物なんですよね。それもあってエンタメ色が強く出ているのかなと。

岩井:私も自分が書いてきたものを振り返ると、毎回違うものを書いてきたつもりでいましたが、構成としては似た部分もあったのかなと思いますね。おっしゃる通りで、主人公とか特定の人物に何かがあってそれが最後に昇華されるという話が多かったんです。『最後の鑑定人』では目線を変えて、「最後の鑑定人」と呼ばれている土門と出会った人たちの何かが昇華する瞬間、昇華できない瞬間も含めて書いてみたら、物語の密度を高めることができるんじゃないか。いままで500枚で書いていたものを100枚で書けたら読みごたえが出てくるんじゃないかと思ったんです。

伊岡瞬さん
伊岡瞬さん

■現在から半歩進んだ研究成果を反映した「鑑定」

伊岡:『最後の鑑定人』の第一話(「遺された痕」)でDNAの話が出てきますが、あれは本当なんですか。ちょっと驚きました。

岩井:本当です。鑑定に関することは科学的な事実に基づいていて、元となった論文もあります。そのうえで『科捜研の女』くらいの入りやすさを考えて書きました。科学的な知識があまりない人にも読みやすいように。

伊岡:土門は元科捜研の民間の鑑定人という設定ですよね。民間の鑑定人って本当にいるんですか。

岩井:少ないですがいます。土門のように科捜研にいた方が多いです。ただ、仕事としては民事が多いようですが。

伊岡:そもそも鑑定人を書こうと思ったのはどうしてなんですか。

岩井:自分の背景が理系なんですが、農学部出身でバイオテクノロジーをやっていて。会社員としても技術職で入ったので、日頃から触れている理系的なものをうまく作品に生かせないかなと。
 科学者、研究者、技術者……いろいろ考えたんです。科捜研も考えましたが、ドラマもあるしすでにいろんな作品が書かれている。もう一ひねりほしいなと思った時に民間の鑑定人の存在を知って、こんな人がいるんだと。民間なので刑事事件だけじゃなくて民事も扱える。これは話を広げて書けるなと。

伊岡:鑑定人を主人公にしようと決めて、それからネタはどうやって探したんですか。過去の事件を調べたり?

岩井:調べました。でも一番時間をかけたのは論文検索なんです。この本が9冊目の単著なんですが、調べ物はこれが一番大変でした(笑)。『水よ踊れ』も返還前の香港が舞台なのでかなり調べましたけど、それ以上に時間がかかりましたね。
 解決の手段がありきたりだと「土門、フツーじゃん」と思われてしまうので、いまの科捜研から半歩くらい進んだ技術や洞察を使うことにしました。論文は発表されているけれど現実に実装されるのはこれから、というくらいの技術を狙おうと決めて、ひたすらGoogle Scholarで論文を調べました。これは使えそう、というストックをつくってから、こんな事件はどうだろう、と考えていきました。複数の論文を組み合わせたりもしています。

伊岡:土門は天才は天才なんですけど、スーパーマンじゃなくて人間くささがありますよね。助手の女性が出すハーブ水をめぐるやりとりとか。そのハーブ水を出す助手も面白いですが。

岩井:高倉ですね。今回はコミカルなところも入れたいなと思って書いたんです。いままであまりそういうのを入れようという意識はなかったんですが。土門が聞き込みが下手だとか、息抜きになるような場面を入れました。

『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也
『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也

■「真実を追究することは正義なのか」という問い

伊岡:意外だったのは最後の「風化した夜」が書き下ろしだったこと。そもそもこれがあったから『最後の鑑定人』全体のストーリーができたのかなと思ったんですよ。前のほうの話で最終話への伏線が張ってあったりもするじゃないですか。

岩井:実は「風化した夜」を思いついたのは最後の最後でした。この話がない状態での刊行も検討していたくらいで。単行本未収録の短篇(「見えない引き金」)が特典になっているんですが、最初に入る予定だったのはそっちだったんです。「風化した夜」に合わせて前の短篇を単行本収録に当たって加筆修正しています。

伊岡:真実を追究することが正義なのか。土門の中に流れている苦悩が象徴されていて、ここに持ってくるまでのほかの短篇だったんだなと。

岩井:そう思ってもらえればきれいなんですが、本当は行き当たりばったりでした(笑)。ただ、それまで4編書いていてまだ書き切れていないところがあったんだと思います。それに、4編を書いて考えがまとまったからこそ「風化した夜」が書けたのかなと。

伊岡:土門のキャラクターが一貫しているからだと思いますが、行き着くべくして行き着いたという納得感はありますね。

岩井:書き始めた当初は実はただ単に科学のバックボーンを生かすということだけだったので、真実を追究することは正義なのか、という問いは最初はなかったんですね。書いていくうちにそれがテーマなのかなと気づき始めて、スタンスが微妙に変わっていきました。収録は書いた順なんですけど。自分の中でも変わっていったし、書いた作品に教えてもらったのかなと思います。

■「土門誠」という名前ができるまで

――お二人への質問なんですが、登場人物の名前はどのように決めているんでしょうか。

岩井:直感ですね。どうしても思いつかない時はネットに落ちてる名前一覧みたいなものの中から気になった名字だけ拝借するとか。

伊岡:僕は名前には凝りますね。昔は、プロットを練る時、二割くらいは名前を考えてましたね。書いていて、これは違うなと思ったら変えます。

岩井:書いている時に違うなという経験は私もありますね。響きが悪いなとか、テンポが悪いな、字数がかさばるなとか(笑)。今回、土門は珍しくけっこう考えたんですよ。

伊岡:かっこいいですよね。いい名前だなと思いました。

岩井:私はドラマの『古畑任三郎』が好きなんですけど、オープニングトークがあるじゃないですか。そこで言っていたんですけど、かっこいい名字に地味な名前がいいんだと。古畑任三郎、明智小五郎、金田一耕助……たしかにそうだ。それをずっと愚直に守っていて、今回もかっこいい名字に普通の名前がいいなと。いろいろ考えて主人公を「土門誠」という名前にしたんです。

伊岡:『最後の鑑定人』はこれはこれで完結していますが、続きもありそうですね。せっかくいい名前も考えられたし。

岩井:そうですね。そうなったら嬉しいです。ネタになりそうな論文のストックはたくさんあるので、ぜひまた書きたいですね。

『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也
『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也

■プロフィール

岩井圭也(いわい・けいや)
1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年「永遠についての証明」で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。著書に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『文身』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』がある。

伊岡瞬(いおか・しゅん)
1960年、東京都生まれ。広告会社勤務を経て2005年『いつか、虹の向こうへ』で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。16年『代償』で啓文堂書店文庫大賞を獲得し、同書は50万部を超えるベストセラーになる。主な著書に『祈り』『悪寒』『本性』『冷たい檻』『仮面』『朽ちゆく庭』など。

■作品紹介

『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也
『最後の鑑定人』刊行記念対談 伊岡瞬×岩井圭也

『最後の鑑定人』
岩井圭也
KADOKAWA
定価:1870円(本体:1700円+税)

業界の注目を集める新鋭が正面から挑む、サイエンス×ミステリ!
人はどこまで真実を知るべきか。その答えを求めて書きました。――岩井圭也

「科学は嘘をつかない。嘘をつくのは、いつだって人間です」
「最後の鑑定人」と呼ばれ、科捜研のエースとして「彼に鑑定できない証拠物なら、他の誰にも鑑定できない」と言わしめた男・土門誠。ある事件をきっかけに科捜研を辞めた土門は、民間の鑑定所を開設する。無駄を嫌い、余計な話は一切しないという奇人ながら、その群を抜いた能力により持ち込まれる不可解な事件を科学の力で解決していく。孤高の鑑定人・土門誠の事件簿。
https://www.kadokawa.co.jp/product/322011000439/

『代償』
伊岡 瞬
角川文庫
定価: 880円(本体800円+税)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321511000303/

KADOKAWA カドブン
2022年08月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク