愛されることだけを望んだ女の情念が悲劇を呼ぶ
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
ただひたすらに愛されたかった。
小池真理子『アナベル・リイ』は、執着ともいえる愛の形と、それが引き起こした事態を描く長篇である。
浮世離れした性格の両親に育てられた久保田悦子は、その反動からか現実主義者となった。イラストレーターを志望するが道は険しく、知己を得た富永多恵子という女性が経営するバーで働き始める。一九七八年、悦子二十六歳のことだ。
多恵子には飯沼一也という片思いの男性がいた。ある日彼は連れを伴ってバーに現れる。杉千佳代というその女性は劇団俳優だった。役者の資質は皆無だが、一也はそんな彼女を庇護し可愛がっていた。千佳代はなぜか初めから悦子に懐き、自宅に訪ねてくるようになる。彼女にとっては悦子は唯一の友人なのだった。
本作の題名は、エドガー・アラン・ポオが最晩年に発表した詩からとられている。ポオはその二年前に死別した妻ヴァージニアを思いながら、ただひたすらに一人の男性から愛されることだけを望んだアナベル・リイを描いたと言われている。
やがて千佳代と一也は結婚する。二十代の青春記と見えていた物語が暗転するのはその後だ。痛ましい出来事が起き、慌ただしく幕が引かれる。事態を見守る悦子は、自分が不可解な現象に遭遇していることに気づくようになる。突然思いを断ち切られた者の無念が、悦子たちを脅かし始めたのだった。
人間関係の中心にいるのは杉千佳代である。彼女の胸中にあるのは、物狂いと言っていい情念だ。強すぎる感情が引き起こす波を悦子たちは受け続ける。物語は暗く、恐ろしいが、そこまでの思いを抱いた千佳代という女性にも感嘆せずにはいられない。なんと恐ろしく、そして愛らしい女性であるのか。
本作は小池が得意とする回想形式で綴られる。老境の主人公による語りは、もはや帰らない青春の日々を封じ込めた、艶めく結晶のようだ。