『ポール・ヴァーゼンの植物標本』
- 著者
- ポール・ヴァーゼン [著]/堀江 敏幸 [著]/飯村 弦太 [企画・原案]
- 出版社
- リトルモア
- ジャンル
- 文学/日本文学、評論、随筆、その他
- ISBN
- 9784898155615
- 発売日
- 2022/07/19
- 価格
- 2,200円(税込)
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百年の時を超えて香り立つ想像力の押し花
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
植物標本は作ったことがなくても、押し花くらいはだれでもやったことがあるのではないか。そのまま乾燥させるドライフラワーとちがい、押して平たくする行為には、三次元のものを二次元に移す秘義めいた魅惑がある。
ひょんなことから百年近い時をまたいで日本にやってきた植物標本の写真に、堀江敏幸による掌篇「記憶の葉緑素」が収められている。
植物はスイスやフランスの高山で採集されたものだが、標本が作られたいきさつは分からない。堀江の文章はそれを調査と想像で膨らませ、人の記憶の物語へと誘っていく。
標本の作者はポール・ヴァーゼンという女性。流麗な手書き文字で学名と採集場所が記されているものの、日付はなく、場所の記録もざっくりしている。どうも学術的な目的で作られたものではないようだ。
そのことは標本の佇まいにも表れており、「もっぱら自分のため、自身が過ごした時間と空間と心の動きを押し花にしたかのような印象を受ける」。茎をたわめ、花の向きを変えて自在に配されており、どう置こうかと考えつつ手を動かす彼女の姿が目に浮んでくるようだ。
採集地には、「ラ・シャソット」というかつて存在した国際的に名高い女子寄宿学校の名が頻出する。ということはポールはそこの寄宿生だったのか。植物好きで休み時間を利用して花を採っては押し花にするうちに、遠い山々にも足を延ばすようになったのだろうか、などと想像は果てしなく広がっていく。
学校は一九八七年に閉鎖して敷地ごと売りに出され、再開発を待っている状態だ。ということは「標本の採集地の中心を担う空間は、もはや存在しない」のである。
ひとりの女性が慈しみを込めて作った標本が生き残り、二十一世紀の日本にたどり着いて一冊の本になってここにある不思議。ほとんど奇跡的な出来事だ。