コロナ禍でなぜ「さわる」展示会?

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コロナ禍でなぜ「さわる」展示会?

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 二〇二一年九月、国立民族学博物館(みんぱく)で「ユニバーサル・ミュージアム――さわる!“触”の大博覧会」が開催された。視覚を制限して触覚で理解する体験を、多くの人が楽しんだ。この展示に込めた思想を伝えるのが、広瀬浩二郎『世界はさわらないとわからない』だ。

 著者は、各地で「さわる」展示の仕掛け人となってきた人。〈それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!〉〈非接触社会から触発は生まれない〉など、元気のよい言葉がぽんぽん飛び出す。コロナ禍でも念願の展示を成功させた原動力はこのポジティブさだろう。

 見える人は、見えないことを単純に「不幸」ととらえがちだが、「失明」は「得暗」と表裏一体のものだと著者は言う。視覚とひきかえに得られる世界がある。中途失明者である著者が「見えないこと」をどうとらえてきたか、その歴史とともに、失明得暗の世界が語られる。

 本書の後半は対話篇。対談、講演などの言葉は希望へとまっすぐ向かっていく。われわれは健常者を標準とする社会を作っているが、〈「障害が軽い人を主に想定した社会」ができれば、一般の人たちも「健康幻想」のような強迫観念から解放され、障害が重い人も健常者も双方が楽になる〉という、高橋政代(再生医療研究者)の言葉にはっとした。健康体でなければ戦力にならないという考え方を捨てれば、生き方も働き方も、もっと自由に変えていけるのではないか。

新潮社 週刊新潮
2022年9月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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