関ヶ原合戦の裏切り論争 松尾山の小早川秀秋陣所で問い鉄砲は聞こえたか?

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論争 関ヶ原合戦

『論争 関ヶ原合戦』

著者
笠谷 和比古 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784106038877
発売日
2022/07/27
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

松尾山の小早川秀秋陣所で問い鉄砲は聞こえたか?

[レビュアー] 小和田哲男(歴史学者/静岡大学名誉教授)


小早川秀秋が布陣した松尾山山頂から眺めた関ヶ原(撮影:庄司一郎)

400年を経た今も激しい論戦が繰り広げられている「天下分け目の戦い」の真相に迫った『論争 関ヶ原合戦』が刊行。歴史学を専門とする国際日本文化研究センター名誉教授の笠谷和比古さんが関ヶ原論争の新説について考察した本作の読みどころを、歴史学者の小和田哲男さんが紹介する。

小和田哲男・評「松尾山の小早川秀秋陣所で問い鉄砲は聞こえたか?」

 慶長五年(一六〇〇)九月十五日の関ヶ原合戦については、江戸時代から今日に至るまで、夥しい数の研究蓄積があり、通説あるいは定説といった以上に、関ヶ原合戦の常識といえるものが形作られてきた。

 ところが、近年、そうした関ヶ原合戦の常識とされてきたいくつかの事柄について見直す動きが出てきて、新説といわれるものがいくつか提示されている。

 常識に慣らされてきた多くの人にとって、新説のいくつかについては、「本当かな」と半信半疑の思いを抱かれたのではないかと思われる。実際、研究者の間からも新説に対する反論が出され、論争になっている問題もいくつかある。徳川家康が会津上杉攻めを中止して反転することを決断した小山評定はあったのかなかったのか、家康を怒らせたという直江兼続の直江状は本物なのか偽文書なのかなど、論争となっている点は多岐にわたっているが、その一つひとつについて、関ヶ原合戦研究の第一人者で、今日の関ヶ原合戦の常識を描いてこられた笠谷和比古氏が解説を加え、改めて、わかりやすい形でご自身の説を述べられたのが本書である。現在の関ヶ原研究の到達点、論争点がたちどころにわかる一冊となっている。

 では、その論争となっているものはどのような事柄なのだろうか。笠谷氏は次の十一に整理している。

論点1 三成襲撃事件の実態

論点2 直江状の真贋

論点3 三成と兼続の事前通謀説

論点4 小山の評定の存否について

論点5 毛利輝元の西軍参加事情

論点6 豊臣三奉行の転回の契機

論点7 関ヶ原を決戦場として選んだのは誰か

論点8 戦場は「山中」の地とする説

論点9 家康軍の軍事的構成――秀忠軍との比較

論点10 関ヶ原合戦は瞬時に終わったとする説

論点11 小早川軍は開戦早々に裏切り出撃したとする説と、いわゆる問い鉄砲

 それぞれの詳細については、ここでは立ち入らないが、一つだけ、最後の論点11について触れておきたい。いわゆる問い鉄砲問題である。これまでの通説では、松尾山に布陣する小早川秀秋が寝返りを逡巡している様子をみた徳川家康がしびれをきらし、決断を迫るため、松尾山に向けて鉄砲を撃たせたというもので、関ヶ原合戦に関する本や映画、テレビドラマなどでも必ずといっていいほど描かれている有名なシーンである。問い鉄砲あるいは威し鉄砲などともいわれている。

 新説では、これらは、江戸時代の軍記物が描きだしたフィクションで、実際にはそのようなことはなかったとする。もう十年ほど前になるが、はじめて松尾山に登って、小早川秀秋の陣所に立ったとき、麓からの高さが予想以上だったこともあり、「たしかに、麓で鉄砲を撃っても、秀秋がそれに気づくことはなかったのではないか」と、私も新説に賛意を表明したことがあった。

 ところが、今回、笠谷氏は、その問い鉄砲に関する『備前老人物語』に収載されているエピソードを紹介し、問い鉄砲の真相に論及し、「もちろん記事そのものは後代の伝聞に基づくものであるから第二次史料ではあるけれども、その内容は比較的信頼のおけるものとされている。第二次史料だからといって一律に否定、排除するというのは妥当とは言えない」と指摘する。

 私は、この指摘は非常に大事だと思っている。というのは、新説の多くが、これまで関ヶ原合戦の常識とされてきたほとんどの話が第二次史料に依拠しているとして、それらからの脱却を標榜しているからである。

 たしかに、歴史研究において、同時代の人が書いた手紙や日記などの第一次史料に依拠すべきことはいうまでもない。

 しかし、その結果、第二次史料を軽視あるいは排除する傾向があることは問題である。笠谷氏が「第二次史料だという理由だけで一律排除するのは、史実の解明にとってむしろ有害ですらある」とする主張に賛意を表したい。

新潮社 波
2022年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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