『ホットミルク』
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母の抑圧と束縛 灼熱の南スペインの村で娘は……
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
最近、日本では母と娘の依存関係や桎梏を描く小説がさかんに刊行されているが、その傾向は国外のアジア圏や英米圏でも同様だ。
そうしたなかでも、『ホットミルク』は精神的にかなりきつい。ギリシャの経済危機に揺れる2015年の欧州。母が原因不明の病で歩行が難しくなり、25歳の娘ソフィアは「私の脚は母の脚」と考え、献身的な介護を続けている。ギリシャ人の父は妻子を捨ててよそに家庭をつくっているというのが皮肉な設定だ。
ソフィアと母はゴメスという謎めいた医者に診てもらおうと、イギリスから南スペインの海沿いの村にやってくる。厄介なのは、母の病態が「たまに歩けるんだけど、歩けない時もあるの」という曖昧なものであることだ。娘は今もアメリカの大学で人類学の博士号取得を目指しているが、母の抑圧と束縛は強まる。
ソフィアはある書類の職業欄に書き込みを促されると、初めは「私の仕事は母のローズなの」と言うが、結局「ウェイトレス(WAITRESS)」と書く。終盤の本人の言葉によれば、waitの「仕える」と「待つ」という意味をかけているのだ。ソフィアは母の抑圧から離れようと、「男ものの靴」を履いた女性と恋人関係になったり、男子学生と親しくなったりしながら、自らのアイデンティティとセクシュアリティを模索する。
所々に、ギリシャ神話のメデューサが出てくる。メデューサが化け物にされたのは、聖なる神殿でポセイドンにレイプされたからなのだ(暴行された方が責められ、罰せられるという不条理は今にも通じるのでは?)。こうした理不尽があちこちで母娘を縛っている。
ソフィアは「母が死んでいるのか、生きているのかわからないんです」と言う。ラスト近くでの彼女の行動に読者は総毛立つだろう。「僕たちは死者を悼まなければならないけど、死者に人生を乗っ取らせてはいけないんだよ」という言葉が余韻を残す。