「日本ではビジネスが飼いならされすぎている」岸田政権の成長戦略に必要なベンチャーキャピタルの存在

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ベンチャーキャピタル全史

『ベンチャーキャピタル全史』

著者
トム・ニコラス [著]/鈴木 立哉 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784105072919
発売日
2022/09/22
価格
3,960円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ベンチャーキャピタルこそがイノベーションの野生化を加速する

[レビュアー] 清水洋(早稲田大学商学学術院教授)


ベンチャーキャピタルの起源と歩みとは?

 旧統一教会問題で揺れる自民党、その火消しに追われている岸田内閣だが、コロナ対策も進めながら経済政策にも本腰を入れなければいけないのが現状だ。なかでも「ベンチャー投資」は政策の目玉のひとつである。

 近年の日本経済は「失われた○年」と称され、企業価値ランキングも10年前、20年前の顔ぶれと比べて代わり映えしない。「ユニコーン企業」の数で米中に大きな差をあけられ、経済の停滞は誰の目にも明らかだが、この状況を打破すべく、岸田内閣は「スタートアップ創出元年」を掲げ、経団連とも歩調をあわせてきた。

 しかし、ベンチャー企業の側もただ「頑張れ」と言われて成果が出せるわけがない。成長するには資金が欠かせないのは言うまでもない。

 そのベンチャー企業に資金を提供し、成長を後押しする役割を担うのが「ベンチャーキャピタル」だ。短期間での成長や上場を目指すベンチャー企業にとっては必要不可欠な存在だが、その歴史的背景を知っている方は少ないだろう。どのように誕生し、いかに経済に貢献してきたのか? ハーバード・ビジネス・スクール教授のトム・ニコラス氏の著作『ベンチャーキャピタル全史』によると、19世紀の捕鯨産業にその起源をみてとれるという。

 経済成長に欠かせない存在であるベンチャーキャピタルについて書かれた本作について、イノベーション研究の第一人者である清水洋さんが寄せた書評を紹介する。

 ***

 新しいチャレンジをしようとするビジネスパーソン、イノベーションを促進しようとする政策担当者、政治家に、今、ぜひとも読んでいただきたい一冊だ。本書は、アメリカのベンチャーキャピタルの歴史を通じて、イノベーションのためのリスクテイクがどのように社会的に支えられてきたのかを見事に描いている。

 新しいチャレンジやリスクテイクはどのようにして進むのだろう。リスクが高いビジネスはいつの時代も存在している。ほとんど失敗するが、成功すれば大きなリターンが得られるようなビジネス機会だ。事前にどれが成功するのかを把握することはできない。このようなビジネス機会の追求は難しい。チャレンジしたい人はいるかもしれないが、リスクが高すぎるため資金調達ができないからだ。

 こうしたビジネス機会の追求を可能にするのが、ベンチャーキャピタルである。スタートアップはアメリカ経済の成長の源泉であり、スタートアップに資金を提供するベンチャーキャピタルの歴史を知ることは、なぜ、アメリカの経済が活発であり続けているのかを理解する上で重要だ。

 このようなファイナンスは一九七〇年代から始まったと一般的に考えられているが、実はその歴史は長い。十九世紀のニューイングランドの捕鯨産業にはすでにその原型があると本書は指摘する。捕鯨は沿岸の海域で行われていたが、沿岸のクジラがとりつくされると大西洋沖合に舞台は移っていった。それとともに、リスクは大きくなっていった。船が積み荷満載で帰港することもあれば、何もとれずに戻ること(破産航海と言われた)もあった。事故も多く、成果を事前に予測することは難しい。

 そこで、捕鯨に出ようとする船長や乗組員と、資金に余裕がある投資家をつなぐエージェントが現れる。仲介業者は、出資者を募り、事業を組織化し、モニタリングを行った。見返りは、固定手数料と利益の一定の割合だった。数少ないヒットを出した企業からのリターンが、平凡なリターンに終わったものや損失を出したものへの投資を賄うロングテール投資だ。

 同じようなファイナンスは、マサチューセッツ州ローウェルにおける綿産業やクリーブランド、ピッツバーグでの重化学工業などでも見られ、インフォーマルなものからフォーマルなものへと徐々に組織化されていった。そして、スタートアップの初期段階でのファイナンスへと結実していく。ロングテール投資こそが、新規性の高いチャレンジを後押しする、アメリカ的な起業家精神のダイナミズムの源泉だ。イノベーションが「野生化」していくのもよく分かる。日本ではビジネスが飼いならされすぎている。


ハーバード・ビジネス・スクール教授であるトム・ニコラス氏

 本書は、このロングテールの投資は、自然発生的に生じたわけでも、ある特定の政策が可能にしたものでもなく、リスクの高いビジネスに取り組もうとする起業家と資金を持っている人々、それを仲介するエージェント、そして政策担当者の間での試行錯誤のなかで、徐々に発明されていったことをわれわれに教えてくれる。

 岸田政権が政策の目玉として、スタートアップ創出を掲げている。単なるペーパー・カンパニーを増やすだけに終わるのか、新規性の高いビジネスにチャレンジするスタートアップを増やせるのかは、今後の日本経済にとって重要だ。本書は、アメリカのベンチャーキャピタルとスタートアップは、独特の文化的背景や規制環境の中から生まれたものであり、表面的に模倣してもたいていは失敗すると警鐘を鳴らしている。また、スタートアップへのファイナンスを用意しても、ビジネスの源泉となる新しい知識への投資がなされなければ新しいビジネスは生まれにくい。その点で、本書はアメリカの軍需の役割も指摘する。これは、日本では歴史的な経緯からしても、冷静に受け止めなければならない。表面的な模倣ではなく、それぞれの国に根差したロングテール投資を創り出していくことが重要だ。

 著者のトム・ニコラス教授は、私の大学院(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)の時の指導教官である。フレンドリーで、建設的、そして常にフェアな研究者である。本書は、よくある出羽守的なアメリカのベンチャーキャピタル礼賛の本ではない。アメリカにおける旺盛な起業家精神を支える制度とその変化を冷静に歴史的に振り返っている。また、ベンチャーキャピタルはロングテール投資を通じて、アメリカのイノベーションを支えてきた。ただ、そこで取り残されてきたポイント(例えば、白人男性が支配的であり、実質的に女性は締め出されてきたことなど)についても指摘されている。

 本書は、アメリカにおけるベンチャーキャピタルを事例として取り上げているが、そこから得られる含意(インプリケーション)の射程は広い。新規性の高いイノベーションの生み出し方の本でもある。企業で新規性の高いチャレンジがなされなくなってきていると嘆くビジネスパーソンにもぜひとも読んでいただきたい一冊である。

新潮社 波
2022年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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