<書評>『ことばの力 うたの心 吉本隆明短歌論集』吉本隆明 著

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<書評>『ことばの力 うたの心 吉本隆明短歌論集』吉本隆明 著

[レビュアー] 土井礼一郎(歌人)

◆詠み手の「風土性」への関心

 短歌には<純粋読者>が存在しない、つまり、歌を読むのは歌詠みだけ、と揶揄(やゆ)されることがあるのだが、ほんとうはそんなこと言ってはいられないはずなのだ。本書は非歌詠み(正確には『初期ノート』増補版収録の作例四首のみが知られる)の巨人・吉本隆明による歌論集である。

 長塚節(たかし)、斎藤茂吉から俵万智まで、十七人をとりあげる歌人論を中心に採録。初出は一九五八年から二〇〇二年までと長期にわたる。「短歌というのは、僕のようにただ好きだから読んでいるものからみると、やはり今でも謎が多いものなのです」とは、一九九三年の講演会での言である。

 本書には未収録ながら、吉本は一九五七年にすでに岡井隆と定型をめぐる激しい論争を交わしている。その後も執拗(しつよう)に短歌を論じたわけだが、それほどに吉本をひきつけたのは短歌の何だったのか。本書は村上一郎や岸上大作、福島泰樹らの歌を通じて戦争や学生運動に目を向ける力の入った論も収録するものの、通読するうち吉本はやはり定型や韻律という詩歌の根幹により深い関心を寄せていたようだと再確認できる。

 本書において難解になりながらも意欲的に、くりかえし語られる論点のひとつが、茂吉の歌をめぐる「声調」の問題である。たとえば「蔵王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に雲のゐる見ゆ」というなんていうことのない内容の一首が「いい歌」なのはなぜか。茂吉自身も声調という語を使い語ろうとしたその正体を、吉本は詠み手自身の「風土性」や「生活性」にかかわるものと想定した。多くの歌詠みがはっきりと感じながら説明できずにいる定型のはたらきを、歌を詠まない吉本がここまで言語化していることにはやはり舌を巻く。

 さて、最近の歌壇では「短歌ブーム」がささやかれ、ネットで短歌に触れるようなライトな純粋読者の存在に意識が向けられるようになった。そんなときに、短歌専門ではない版元から、非歌詠みの巨人による噛(か)みごたえある歌論集が出版された。そうした意味でも価値ある一冊といえるだろう。

(幻戯書房・2640円)

詩人、評論家。1924〜2012年。『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』など多数。

◆もう1冊 

吉本隆明著『写生の物語』(講談社文芸文庫)。1995年から『短歌研究』に連載した歌論集。

中日新聞 東京新聞
2022年9月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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