寺山修司が存命でアイドルの演出に乗り出したら

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寺山修司が存命でアイドルの演出に乗り出したら

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


「新潮」2022年9月号(新潮社)

 中森明夫の長篇「TRY48」の連載が『新潮』9月号で完結した。全10回。

 寺山修司が実は生きており、85歳になった彼がアイドル・プロデュースに乗り出すという設定の小説である。「TRY48」は「テラヤマ48」というわけだ。

 歴史改変SFの一種とひとまずは分類できそうで、中森の前長篇である『アナーキー・イン・ザ・JP』の系譜に手法的にも位置づけられるだろう。

 語り手はアイドル志望の高校生、17歳の深井百合子。彼女は学校の「サブカル部」で、サブコというあだ名のメガネ女子と知り合う。サブカル知識の豊富なサブコが百合子にレクチャーする体裁で、寺山の人生と作品が総まくりされていく。

 寺山はアイドルグループTRY48を使って常識破りのハプニング的演出を次々に仕掛けていくのだが、それらの仕掛けはどれも実際の寺山の作品を敷衍したものになっている。

 いわば寺山の思想と行動をアイドルグループを媒体に現在においてシミュレーションし、現実のアイドルの歴史や現象に重ね合わせているのである。そうした狂騒を描く祝祭的でカオスな筆致を支えているのは、寺山やアイドルのみならず、サブカルチャーにもハイカルチャーにも通暁している中森明夫のユニークな知的基盤であろう。

 だが、世間の神経を逆撫でし、賛否が激しく分かれ、ときに警察沙汰にもなった寺山の劇団・天井棧敷のハプニングは半世紀も前の出来事である。アイドルによる再演・再現はことごとく日常性に回収されてしまう。サブコはこう慨嘆する。

「ああ、これはもう通用しない。ただの面白おかしいお子ちゃまのお遊戯として市民社会に歓迎され、受け入れられ、安全無害に消費されるだけだ。つかの間の危険、一瞬の挑発にすらなりはしない」

 作者のアイドル観も古臭く見える。AKB48やBiSが事件だった時代はもう過去だ。しかしこれも計算尽くで、中森は寺山を依代に、自身のアイドル論の更新を目論むのである。

 二重の否定の上に生み出される再生。「TRY48」が描こうとしているのはそのような可能性なのだ。

新潮社 週刊新潮
2022年9月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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