『狭き門』
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あまりにも純粋な信心ぶりには畏怖の念を覚える
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「宗教」です
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ジッドはかつて一世を風靡し、その後あまり読まれなくなった作家という印象がある。だが代表作『狭き門』をひもとくなら、愛と信仰をめぐるドラマがアクチュアルな問題を鋭く提起していることに驚かされる。
従弟ジェロームと相思の仲なのに、アリサは恋人らしい関係になろうとはしない。婚約の申し出を退け、直接会う機会を極力減らそうとする。「遠くにいるときのほうが、もっとあなたを愛していた」などとつれない手紙を書いてきたりする。
アリサは他人に性的欲求を抱かない「アセクシュアル」だったのかもしれない。だがそんな概念は当時まだ存在しなかった。
やがて彼女は信仰に打ち込むあまり別人のようになり、顔から「人間的な感情」が消えてしまう。愛読していた文芸書をすべて捨て、宗教書一辺倒となる。昨今の原理主義者を思わせる過激な信心ぶりだ。ただし教団に貢いだり導師に操られたりするわけでは毛頭ない。
少女の頃からアリサは「神さまのところにはたったひとりで行くしかないのよ」と語っていた。パスカルが説いた峻厳なキリスト教信仰を思わせる言葉だ。だが彼女はパスカルのいう「天上の至福」を願うことさえ自らに許さず、絶対的な禁欲の境地に閉じこもる。
高貴な輝きを放ちながら、アリサは「清らかさ」の罠に落ちた女性という痛ましい印象を与える。人をあまりに純粋にし、頑なにもする宗教の威力を描いて今なお畏怖の念を抱かせる作品である。