『撤退戦 戦史に学ぶ決断の時機と方策』齋藤達志著(中央公論新社)

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撤退戦

『撤退戦』

著者
齋藤 達志 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
歴史・地理/歴史総記
ISBN
9784120055584
発売日
2022/08/09
価格
2,970円(税込)

書籍情報:openBD

『撤退戦 戦史に学ぶ決断の時機と方策』齋藤達志著(中央公論新社)

[レビュアー] 堀川惠子(ノンフィクション作家)

問われる洞察力・歴史観

 ウクライナ報道にもどこか慣れつつある身に、新鮮な気づきを与えてくれる一冊。勇猛な戦記や英雄譚(たん)ではない。当事者にとっては最も苦渋の「撤退」における戦いだ。逆ベクトルに推進力を転回させる撤退は、余力を残した状態で負け戦を引き受けねばならない。戦況は刻々と変わり、全体像の正確な把握は容易なことではない。だからこそ戦史に学ぶ意義があると著者。戦略を司(つかさど)る国家首脳、統帥機関、現場の指揮官、この3者の決断を本書は「追体験」する。

 近年、映画でも話題になった第二次世界大戦における英仏軍のダンケルクからの撤退。その瞬間しかないというタイミングで独断した司令官、官民による決死の輸送船団突入、チャーチルの周到な警戒処置など見どころは多いが、感嘆させられるのは戦場での徹底した兵站(へいたん)線の維持だ。英軍は猛攻に晒(さら)されるたび主補給路を次々に新たな回路に切り替えて戦闘を継続、最終的に撤退へと繋(つな)げ、次なる勝利に道を拓(ひら)いた。

 九つの撤退事例のうち、旧日本軍の成功例としてキスカ撤退が挙げられる。慎重な計画、陸海軍の真(しん)摯(し)な協同など、スポットで見れば「あの戦争にもこんな場面が」と驚く。奇跡的に天候に恵まれ撤退は完遂されるも、すべてはアッツ島玉砕後のことで時すでに遅かりし。

 日本軍の「作戦最優先」の撤退判断は多大な犠牲を生んだ。多くの民間人を巻き込んだ沖縄戦。著者は司令部が「予想も準備もなかった」南部に後退した判断を分析する。沖縄の戦没者50%以上が南部撤退中の1ヵ月に集中。そのまま首里で抵抗・玉砕していたら、犠牲は抑えられたか。司令官の「歴史的な決断」は今に続く沖縄と本土との温度差を生み出す主要因にもなった。撤退戦のあり様は損耗の大小のみならず、和平交渉の行方や国家の未来にまで深い影響を及ぼす。最高指導者には作戦のみならず、深い教養と洞察力、歴史観が必要との指摘が現代日本にも重く響く。

読売新聞
2022年9月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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