『キリンの首 (原題)Der Hals der Giraffe』ユーディット・シャランスキー著(河出書房新社)

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キリンの首

『キリンの首』

著者
ユーディット・シャランスキー [著]/細井 直子 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784309208596
発売日
2022/07/27
価格
2,970円(税込)

書籍情報:openBD

『キリンの首 (原題)Der Hals der Giraffe』ユーディット・シャランスキー著(河出書房新社)

[レビュアー] 森本あんり(神学者・東京女子大学長)

「適者生存」妄信する教師

 「教養小説」と銘打たれているのに、主人公は老年で、その人生は何の成長もなく閉塞(へいそく)したままである。アメリカ映画のようにわかりやすい結末もない。だが、物語は読者の心の奥深くに棲(す)みつき、本を措(お)いた後で何日も解けない問いを発し続ける。とても上手に紹介できる自信はないけれど、奇妙な把持力のある小説だ。

 ドイツ東部の廃れゆく町で生物学を教えるインゲ・ローマルク。キリンの首といえば「獲得形質の遺伝」と「用不用説」を主張したラマルクだが、彼女は長年教え続けてきたその教義を固く信じている。世界はすべて競争であり、適者のみが生き残る。ワシは卵を二つ産むが、餌の少ない過酷な環境では、先に孵(かえ)ったヒナが後のヒナをつついて殺してしまう。旧約聖書にあるカインの兄弟殺しに因(ちな)んで「カイニズム」と呼ばれる行動だ。「だったら、そもそもなんで二つ卵を産むんですか」「もちろん、スペアです」「でも、親鳥は?」「見ているだけです」こういう冷たく乾いた対話が終始進められる。

 職員室では、旧東独時代に育てられた同僚教師がまくし立てる。曰(いわ)く、遺伝学はブルジョワ的だ。すべては生まれと素質で決まり、貧乏人は貧乏人、金持ちは金持ちのままだなんて。だが、同志ルイセンコは違うぞ。存在が意識を規定するんだ。小麦の種も寒さに晒(さら)せば強くなるように、環境と努力次第で人間も変わる。そうやってわれわれは資本主義を克服するのだ。

 でも、と彼女は思う。自然は克服できない。生徒の前では自信に満ちて峻(しゅん)厳(げん)な彼女だが、私生活では夫からも娘からも疎外されている。人間の愛も自然の法則に従うだけで、不幸だが同情には値しない。自然に不公平はないのだ。「変化」を「進歩」と取り違えてはいけない。

 装幀(そうてい)家でもある著者の趣向で、随所に細密な生物の絵が挿入されている。ちなみに、キリンの首がなぜ長いかは、遺伝学では今も未解決の問題らしい。細井直子訳。

読売新聞
2022年9月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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