『ブロッコリー・レボリューション』岡田利規著(新潮社)

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ブロッコリー・レボリューション

『ブロッコリー・レボリューション』

著者
岡田 利規 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103040521
発売日
2022/06/30
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

『ブロッコリー・レボリューション』岡田利規著(新潮社)

[レビュアー] 柴崎友香(作家)

見えないのに語る「誰か」

 具体的な「誰か」の身体を通して世界を体験し直すことができるのが、小説にできることの一つだと思う。ここに収められた五つの小説は、表題作で繰り返される「ぼくはいまだにそのことを知らないでいるしこの先も知ることは決してないけれども」の一節が表すとおり、語る人と行動したり感じたりする人が同一ではない。

 おいしいパン屋と海が近くにあるアパートで新しい恋人と暮らし始めた「私」。原発事故を機に東京を離れた妻とその夫。黙って家を出てタイで過ごす元恋人とその現在を思う「ぼく」。ある時のある場所にいる彼らは、経験した過去とこれから経験するはずの未知の時間、それらから枝分かれする場所を思いながら生きている。その人には見えないはずのことが語られるのは不自然に思えるかもしれないが、むしろ人間は今ここだけを受け取ることは難しく、後悔や期待や不安が意識の中に入り込んでしまう。彼らはそれを律儀なまでに言葉にして、変化し続け事後的にしか意識することができない世界の中で現在を捉えようとしている。狭いアパートの部屋や訪れる店、移動する車内など、空間や生活用具の細部が感覚と共に描かれることで「誰か」が確かに存在する身体として浮かび上がる。2018年のバンコクで見聞きする事件や光景を読んでいると、時間や場所やできごとは誰かがそれを体験することでしか立体的に認識されないのだと知らされる。距離があるからこそ語れることがあり、語りの中にときどき滲(にじ)む暴力性が人と人との関係を顕(あら)わにもする。

 ある人が別の誰かのことを語るのを読むとき、その「ずれ」は隙間や余地を生み、それがきっと「想像」ということであり、この間接性こそが小説にとってもっとも重要なのではないか。「誰か」を通じて想像するときに起こる「何か」。読み終えたとき、彼らの感じた痛みが自分の中に残っている。それは今の複雑で困難な世界を生きるための、確かな可能性なのだと思う。

読売新聞
2022年9月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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