『非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略』を古谷経衡さんが読む「日本人に瀰漫(びまん)する無思慮と無想像と無知への痛烈な警鐘」

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『非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以後の日本の戦略』を古谷経衡さんが読む「日本人に瀰漫(びまん)する無思慮と無想像と無知への痛烈な警鐘」

[レビュアー] 古谷経衡(著述家)

日本人に瀰漫(びまん)する無思慮と無想像と無知への痛烈な警鐘

 世界価値観調査の最新報告によれば「もし戦争が起こった場合、国のために戦うか」とした設問で、「はい(戦う)」と答えたものは調査国79か国のうち日本が最下位の13・2%だった。この調査はウクライナ戦争(以下ウ戦争)以前に行われたものだが、日本に限ってみては現在でも特段の変化は無いとみるのが妥当だ。
 一方「いいえ(戦わない)」と答えた日本人は独伊など敗戦国や南欧・南米諸国の回答割合と遜色ないことが判明している。しかし最も特徴的なのは第三の選択肢「分からない」と答えたものが38・1%であり、あらゆる調査国の中で突出して多かったことだ。つまり日本人の多くは「もし戦争になったら」という設問に対して、その状況がどのようなものかを想像することができないので「分からない」としか答えられないのだ。これは「はい」の回答が最低であること以上に極めて深刻な事態である。
 本書はウ戦争の分析に始まり、発言者のほとんどは総体として国際秩序がE・H・カーの『危機の二十年』を飛び越えて19世紀に退行したのではないかという危惧を持っている。評者もほぼ同じ感想を持つ。国際環境が2世紀前に退行したなら当然日本の安保環境も強い影響を受ける。だが本書では発言者の全員が、日本の現状を「改憲・護憲という議論や、所謂“敵基地攻撃能力の保持”・核共有の是非や、戦時に要する下位法の“空白”という諸問題よりはるか以前の問題がある」とする。はるか以前の問題とは日本人(政治家を含む)のほとんどが「戦争とはいったいどのような状況として我が身に降りかかるのか」という想像力を持たないことである。
 本書では寺山修司の『身捨つるほどの祖国はありや』が引き合いに出されている。「いいえ」という明確な非戦決意の方がまだしも自主性があるが、日本人の多くは戦争も軍事も抑止論も近現代史にも無知で、要するに意見を持っていない。だからこそ空疎で勇ましい右傾主張が鉱泉にぶち当たった様に湧き出してそれが喝采を浴びる。本書はウ戦争についての各論から始まるが、着地点は日本人に瀰漫する無思慮と無想像と無知への痛烈な警鐘である。

古谷経衡
ふるや・つねひら●作家・評論家

青春と読書
2022年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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