『まず牛を球とします。』柞刈湯葉著(河出書房新社)

レビュー

5
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まず牛を球とします。

『まず牛を球とします。』

著者
柞刈 湯葉 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309030562
発売日
2022/07/22
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

『まず牛を球とします。』柞刈湯葉著(河出書房新社)

[レビュアー] 小川哲(作家)

人類の矛盾 痛快に暴く

 人間は矛盾した生き物だ。命の重要さを説きながら戦争をする。学問を発達させるだけの知能を持ちながら神を信仰する。科学的根拠がないことを知りながら占いを信じる。狩猟・採集民族だった人間は、自然界に存在しない「社会」や「文化」といった人工的な概念を構築することで生活を向上させてきた。そして、これらの概念によって生みだされた滑稽な矛盾を痛快に暴いているのが本作である。

 表題作「まず牛を球とします。」は、タイトルの通り牛が球体となった未来が舞台のSFだ。人類は動物の命を奪うことに耐えられなくなったが、それでもやはり牛肉を食べたい。その矛盾した欲求を満たすために作られたのが、筋肉だけで構成された牛の球体だ。著者はこの短篇(たんぺん)の主題を「牛の球体」というよりも、「牛の球体」を発明してしまった人類の矛盾に設定し、その顛末(てんまつ)を描いている。

 「犯罪者には田中が多い」では、「田中」という姓が差別された世界の話だ。ひょんなことから「田中」という姓に犯罪者のイメージがついてしまい、漫画家である語り手は容疑者の中に「田中」を含めることができなくなる。「田中」の差別は架空の設定だが、現実にはさまざまな差別が存在しており、作家は読者を傷つけないように、あるいは読者に余計な負担をかけないようにしようと努力をしている。「田中」の差別は、差別そのものの理不尽さと同時に、それに振り回される人々の滑稽さも描きだしている。

 他にも「責任」という概念の滑稽さを描く「東京都交通安全責任課」、「天地および責任の創造」や、「戦争」の本質に迫る「ルナティック・オン・ザ・ヒル」、暦や量子力学を用いて「偶然」と「必然」を問う「改暦」、「沈黙のリトルボーイ」など、人類が生みだしたフィクショナルな概念の底を抜く話がこれでもかと描かれている。ぜひ軽い気持ちで手に取って、重いテーマを味わってほしい。

読売新聞
2022年9月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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