若き頃の安倍晴明を描いた『晴明変生』が刊行 平安時代ミステリの旗手・森谷明子が執筆した想いを語る
エッセイ
『晴明変生』
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小特集 森谷明子
[レビュアー] 森谷明子(作家)
若き頃の安倍晴明を主人公に描いた『晴明変生』を執筆した平安時代ミステリの旗手・森谷明子。陰陽師として、帝や摂政関白という権力者たちから絶大な信頼を得る存在になった晴明の前半生を描いた本作を執筆した理由と構想を作者が語った。
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常人には察知できない不可思議がこの世に存在するということは、感覚的に理解できる。が、それは果たして本当に万人に感じ取れないものなのか、ずっと疑問に思っていた。
人間の脳はほんの一部の領域しか使われていないという。この世のどこかには、私などとはかけ離れた感覚の持ち主がいるのではないか。それはたしかに異能と呼べるものだが、決して超自然的な力ではないのでは、と。
そんな異能の持ち主をイメージした時に真っ先に思い浮かんだのが、かの大陰陽師―安倍晴明―だった。
晴明に関してはフィクション研究書とりまぜ、膨大な著述がある。百も承知していながら、それでも書きたいという思いが膨らんでいった。
生涯は謎である。名前こそメジャーだが、特に前半生など全くわからない。陰陽寮に属する下級構成員(天文得業生という)として登場した時はすでに、当時の認識としては老境にさしかかった四十歳、しかも出自の安倍氏はそれまで陰陽道とは無縁の家だった。身分も低い。「貴族」とは朝廷から三位以上の位を与えられた「貴」と、その下の「通貴(貴に通う)」としての四位・五位をさすが、晴明は四十七歳の時でさえずっと格下の従七位上、ただの下級官人にすぎなかった。その後、六十歳を超えてようやく官位が上がっていくものの、最終的に従四位下で終わる。高貴な生まれの源博雅が十四歳での元服と同時に与えられた従四位下に、晴明は人生の最後にようやくたどりついたのだ。
にもかかわらず、気がつけば、陰陽師晴明は帝や摂政関白という権力者たちから絶大な信頼を得る存在になっていた。
ここまで謎に包まれた人物ならば想像は自由だ。いっそのこと、もてはやされ活躍した時代よりも、晴明がいかにして晴明になったのか、その「始まり」を書きたい。
そうして生まれたのが『晴明変生』である。
晴明とてかつては幼子であり少年だった。自身の才覚と能力だけで名声を勝ち取った晴明は、どのような子どもだったのか。
自分は人と違う。物心ついた時からそれを悟り、むしろ引け目に感じていた気弱な子ども。素直に、周囲の人間も森羅万象もありのままに受け止める―それは人として大変な強みだが意識していないからこそ発揮できる強みでもある―子ども。
それを書きたい。
一方で、そんな子どもを友に持つとどんな思いが生まれるだろう。はたから見れば高貴で何不自由ない身ながら内面は満たされていない孤独な少年なら? 自分の生まれにも能力にも何一つ取り柄などない凡人だとコンプレックスを抱えている少年なら?
『晴明変生』は、この三人を軸にする少年たちの物語(ちょっぴりミステリ風味)になるはずだった。ところが彼らの周辺を調べて書いているうちに、新たなキャラクターたちが名乗りを上げてきた。
一人は康子内親王。帝と最高位のきさき中宮との間に生まれたたった一人の皇女であり、文字どおりのトップレディーである。
そして藤原師輔。こちらも時の摂政(のちに関白)の息子で才気煥発、向かうところ敵なしの貴公子。
そして、さらにもう一人……。
歴史上たしかに存在した彼らが、どんなストーリーを織りなしてくれたか。
どうか読んでみてください。