『麦の記憶 民俗学のまなざしから』野本寛一著(七月社)
[レビュアー] 梅内美華子(歌人)
本書の編集中にロシアのウクライナ侵攻が起こり、著者は早い段階から小麦をはじめとする食糧問題を危ぶんでいた。日本は小麦を9割輸入に頼っている。多く食されているから影響は少なくない。麦の自給がなぜ衰退していったのか。著者は麦と「麦に関する多くの営み」を探索し民俗学の視座から総合的に捉えることを目指した。
米は夏作、麦は冬作。米を表作、それを補うものとして裏作と呼んできた。しかし脇役こそ重要で、米が少ない庶民の食と命をつなぐものであった。麦飯とする大麦、粉化して麺・饅頭(まんじゅう)・すいとんなどにする小麦。栽培から穂落とし、脱粒、精白と口に入るまで非常に手間隙(てまひま)がかかり労力を要する。著者は北海道から沖縄の島々まで各地をめぐり、農耕環境や栽培法や食法などを聞き取り収集した。そこから地方色豊かでこまやかな農事と生活が浮かび上がる。長年にわたる探索で話をしてくれたのは明治20年代生まれから昭和10年代生まれの人たちであった。飽食からフードロス対策へ意識が変化している現代、「麦とともにあった心」を知る意義は大きい。