『歌う民衆と放歌高吟の近代 放歌民衆から唱歌・軍歌を歌う国民へ』永嶺重敏著(勉誠出版)

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歌う民衆と放歌高吟の近代

『歌う民衆と放歌高吟の近代』

著者
永嶺重敏 [著]
出版社
勉誠出版
ジャンル
芸術・生活/音楽・舞踊
ISBN
9784585370031
発売日
2022/05/31
価格
3,850円(税込)

書籍情報:openBD

『歌う民衆と放歌高吟の近代 放歌民衆から唱歌・軍歌を歌う国民へ』永嶺重敏著(勉誠出版)

[レビュアー] 金子拓(歴史学者・東京大准教授)

歌うこと 罪から文化に

 先日とある山城(やまじろ)を登っていたら、歌を歌いながら颯爽(さっそう)と山頂に向かう中高生くらいの男女の集団に追い抜かれた。彼らは中腹の青少年センターに宿泊に来ていたのだろう。同行の人と「古い映画を観(み)ているようですね」と笑いあうとともに、清新な気分になり、不思議な郷愁をおぼえた。みんなで野外で同じ歌を歌う風景に接し、なぜこんな気持ちになったのだろう。

 「日本人もはるか昔から歌う民族であった」。本書の序章にこんな魅力的な一節がある。「放歌」をキーワードに様々な事例をあげながら、明治の世における日本人の歌う行為、近代日本の「声の文化」についての考察が展開される。

 明治期、路上で大声で歌うことが規制の対象となっていた。野蛮で風儀を乱す行為として、警官の制止を拒んだら「放歌」の罪で拘引された。「放火犯」ならぬ「放歌犯」である。おそろしい。明治15年に施行された旧刑法のなかにこの罪が定められた。裏返せば、その頃それだけ路上などで大声で歌う(そして他人に迷惑がられる)輩(やから)が多かったことがわかる。

 当時人びとの口から出たのは、歌謡だけではない。漢詩だったり、都々逸や浪花節もあった。どちらかといえば個人の快楽と言えようか。

 旧刑法施行と同じ時期、学校では唱歌教育が導入され、誰もが歌える歌が誕生し、歌を作る能力も育まれた。明治20年代に一高に設けられた自治的で閉鎖的な寮のなかで、いわゆるバンカラの気風が生まれ、一高生たちが寮歌などを集団で「放歌」する風景が見られるようになる。著者はこれを「放歌高吟文化」とし、少し前まで罪であった「放歌」が制度化され、「声の文化」として定着するさまを活写する。

 この文化は大正期にかけ、社会的なデモや労働運動の盛り上がりのなかで拡大してゆく。戦後の歌声喫茶や、現代のカラオケまで、歌う行為は常に日本人とともにあり、だからあのとき郷愁をおぼえたのかと気づかされた。

読売新聞
2022年9月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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