「プーチンのロジックもおそらく同じ」――ロシア、中国を隣国侵攻へと駆り立てた危険すぎる「帝国の論理」

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

悪党たちの中華帝国

『悪党たちの中華帝国』

著者
岡本 隆司 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/歴史総記
ISBN
9784106038884
発売日
2022/08/25
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

悪党たちの大英帝国

『悪党たちの大英帝国』

著者
君塚 直隆 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784106038587
発売日
2020/08/26
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【特別対談】岡本隆司×君塚直隆 中国とイギリス――今も生きる「帝国」と「悪党」たち(上)

[文] 新潮社


他国に侵攻するロジックとは?

21世紀のいま、ロシアはウクライナを侵攻している……過去にはドイツ、イギリス、中国、日本など、帝国と認識される国々が他国に侵攻してきた。こうした領土拡大ともみられる行動に駆り立てた理由とは何なのか?

今回、『悪党たちの中華帝国』を刊行した中国史研究者の岡本隆司さんと、イギリス史が専門で『悪党たちの大英帝国』の著者である君塚直隆さんが、「帝国」と「悪党」という2つのキーワードを軸に、中国やロシア、そして過去に大英帝国と呼ばれたイギリスが、他国に侵攻してきたロジックを語り合った。

 ***

岡本隆司 「帝国」という言葉のイメージは、映画『スター・ウォーズ』じゃないですけれど、“悪の権化”ですよね。ということは、悪党じゃないと帝国が作れない、帝国には悪党しかいないという認識を、多くの人が持っているということになります。

 そして、大英帝国も悪党でなければ築けなかったということを、君塚先生は『悪党たちの大英帝国』でお書きになっているわけですが、私がこのたび上梓した『悪党たちの中華帝国』も同じです。我々の一般的な価値基準からすると、中国も帝国の一つであり、現代中国の習近平国家主席をはじめみんなが悪党に見えてしまう。

 また、今のロシア・ウクライナ戦争も、「帝国」というキーワードから考えてみると、国際政治のセオリーとは違う次元で読み解けるのではないかと思います。

君塚直隆 たしかに今回のウラジーミル・プーチン露大統領の動きも、ある意味“帝国の論理”で動いているように見えますね。

岡本 帝国にもいろいろあって、マッキンダー地政学のランドパワー(大陸国家)とシーパワー(海洋国家)という区分からすれば、ロシアや中国はランドパワーの典型なのではないかと思います。

 つまりロシアが勢力圏の発想で、ウクライナまでは自分のフリーハンドが効く状態にしておかないと不安だ、逆に言えばウクライナを敵対勢力に取られると非常にまずいといった心理が働いて侵攻したと考えれば、それはランドパワーの典型だと思います。

 それこそ19世紀的な、あるいはそれ以前の帝国というもののありようが、現在のロシアにもまったく変わらずに引き継がれているように感じます。

君塚 やはり中国にも、そうした勢力圏的な考え方というのはあるのでしょうか。

岡本 中国では歴史的に「華夷秩序」とか「朝貢体制」といった考え方があり、そこでのパフォーマンスが西洋で言うところの帝国とか帝国主義という概念に置き換えられていったという感じですね。

 典型的なのは、豊臣秀吉の朝鮮出兵です。日本が朝鮮という朝貢国に攻め込んできて、朝鮮から助けてくれと言われたので、中国(明)が援兵を出したという、一応の手続き的な流れがあります。

 でも一方で、朝鮮半島を取られたら北京が危ない、朝鮮半島では自分たちのフリーハンドを持っておきたいという意識が中国にはありましたし、それは以後も続きます。そして19世紀になって西洋から「緩衝国」という概念が入ってくると、“朝貢国は緩衝国だ”とあからさまに言うようになります。

「ランドパワー」と「シーパワー」の帝国

君塚 イギリスの場合、帝国になる前、17世紀初頭までのテューダー王朝時代はまだ弱小国ですから、外国に対する恐怖心を常に持っていました。

 その後帝国へと成長するわけですが、すると今度は帝国としての恐怖心を抱くことになりました。それは具体的には、ネーデルラントを取られるという恐怖です。特に、フランスやスペインといった当時の大国にネーデルラントを押さえられると帝国の存亡に関わる、という意識は、長く続くことになります。

 第1次世界大戦がはじまった時、イギリスは中立を保っていました。同盟を結んでいたのは唯一日本だけで、それ以外の国とは組んでいない。

 ところが、ドイツはベルギーの中立を侵犯してフランスに攻め込みました。その瞬間イギリスはガラッと変わった。もともとドイツに友好的だったデイヴィッド・ロイド=ジョージさえ態度を変え、宣戦布告して大戦に参戦しました。

 第2次世界大戦も同じでした。ナチスはオランダ、ベルギー、ルクセンブルクを全部押さえるわけですが、中でもベルギーは国王が亡命せず国内にとどまり、ドイツの無条件降伏要求を受諾した。これにウィンストン・チャーチルは烈火のごとく怒りました。このように、大英帝国にとってネーデルラントという場所は絶対に譲れない場所だったのです。

 こうした「譲れない場所」というのは、どの帝国にもあるのだろうと思います。それが現在の中国にとっては、台湾であったり朝鮮半島であったりするのかもしれません。

岡本 非常に興味深いお話です。

 大英帝国はまさにシーパワーの典型ですが、ランドパワーの国家からすると、シーパワーの気持ちはよくわかりませんね。

君塚 そうですね。その気持ちをわかる人がいる時代だと、危機は何とか回避できるんです。ドイツの例で言えば、オットー・フォン・ビスマルクはよくわかっていましたから、ネーデルラントには絶対に一歩も踏み込まなかった。


オットー・フォン・ビスマルク(1815~1898)

岡本 フランスのアルザス・ロレーヌ地方は取っても、ベルギーは取らない。

君塚 そうなんです。フランスのナポレオン3世も同じように非常に慎重でしたが、その世代がいなくなったら、ドイツでもフランス、ロシアと戦うためにベルギーを侵すという「シュリーフェン・プラン」が作られてしまう。ビスマルクが健在だったらありえない計画ですよ。

 ところが、このプランにヴィルヘルム2世がOKを出した。しかも、アルフレート・フォン・シュリーフェンが発案してから10年近くも温存されたものだった。

岡本 逆に言うと、シーパワーから見てもランドパワーの気持ちはわからないんですね。

 日本は大日本帝国時代、満洲を押さえたことで初めてランドパワーの中国の気持ちがわかったのではないでしょうか。では日本が中国になりかわれたかというと、そこまでの力はなかった。結局敗れていくしかなかったのだろうと思います。その意味では、大陸進出の足掛かりになった朝鮮半島は、日本にとっては鬼門なのだと思います。

帝国の攻撃性と防御性

君塚 帝国には攻撃的な面と防御的な面があります。ご承知のように、イギリスの本拠であるグレートブリテン島は、日本の本州の3分の2ほどの小さな島に過ぎません。でも、そのイギリスが北米やオセアニア、アフリカ、カナダへと拡大していく過程では、ものすごく攻撃的になります。その度合いは時代や地域にもよって違ってきますが。

 たとえばオーストラリアには、アボリジニと呼ばれている人たちがいましたが、その勢力はそれほど大きなものではありませんでした。だからイギリスからの入植者たちは、比較的容易にアボリジニたちを圧倒していきました。

 一方ニュージーランドでは、マオリ族が相当強かったので、結局戦争になってしまいました。こうした拡大段階では、シーパワーの帝国は攻撃的側面を持っている。

 ただ、ある程度領土が固まってくると、今度は防御的側面が大きく出てきます。その代表例が「グレート・ゲーム」と言われる、中央アジアを巡るロシアとの角逐です。もっともこれも、当初はロシアの南下に対するイギリスの防御的姿勢だったのですが、次第に攻撃と防衛のハイブリッドに変化していきます。

 ですからやはり、シーパワーの帝国は最初は攻撃的ですが、ある時点から防御と攻撃のせめぎ合いになっていくという宿命を負っていると思います。

岡本 攻撃的/防御的と分けるロジック自体が、非常にシーパワー的な発想ですね。

 一方、中国のようなランドパワーですと、たとえば清朝がなぜあのような「帝国」になったかと言えば、国を築いた満洲族のリーダーたちは、いかに自分たちが生きのびるか。その営為だけだろう、ということです。ある意味、防御的なんですね。清朝の版図拡大の最後を飾る新疆については、多少攻撃的というか、乾隆帝の虚栄と言った部分がなきにしもあらずですが、全体的に見れば非常に防御的ですね。

防御的攻勢で伸長した清朝

岡本 清朝の発祥となる満洲族は、明朝や朝鮮から圧迫を受けてきた結果、一つにまとまった。そして、その圧迫を跳ね返して独立を達成しても、まだ周囲に脅威はある。そこでさらに朝鮮に出兵したり、明朝を攻撃したり、モンゴルに攻め入ったりして次第に大きくなっていった。つまり自分たちが危ないという気持ちがあるから、大きくならざるを得なかったわけです。

 そして明朝が滅び、明の遺臣から“代わりに治めてください”と言われて、しょうがないので清朝を建てた。建ててみたら、やはりロシアやモンゴルからの圧迫があるわけで、清朝になっても大きくならざるをえなかったのです。

 そうして18世紀、国内の景気がよくなって、漢人がどんどん増えて経済力をつけてくると、今度は彼らの潜在的なパワーがすごく怖くなってくる。それを克服するには、国内に向けて、皇帝の権威や対外的な軍事力といったものを見せつけるしかない。だから乾隆帝は新疆を征服し、自分はこんなに偉い皇帝なんだと「十全老人」とまで名乗り、そのスーパーマンぶりをアピールしたわけです。

『悪党たちの中華帝国』で取り上げた人物で言うと、明の永楽帝も、自分の地位を守るために対外的に権威を発揚する行動をとった人物だと思います。

 ですから、中華帝国は防御と攻撃が一体となった形で膨張し、外の勢力の方が強かったら転落していく、こういう運動律がある。同じくランドパワーのロシアも、ソ連時代も含めてそういう消長を繰り返している気がします。今のプーチンのロジックもおそらく同じようなもので、ウクライナを取られると自分たちが危なくなるから先に取る。これは防御的であると同時に攻撃的でもあるわけです。私はマッキンダーの地政学を深く勉強したわけではないですし、その理論に全面的に賛成するわけではないですけれども、やはりランドパワーとシーパワーには厳然たる違いがある、ということを痛感します。

 ***

(中)「中国はどこまで勢力圏を拡大するつもりなのか? 歴史家が考察『習近平は乾隆帝時代の版図を超えようとしている』」につづく

新潮社 Foresight
2022年8月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク