中国はどこまで勢力圏を拡大するつもりなのか? 歴史家が考察「習近平は乾隆帝時代の版図を超えようとしている」

対談・鼎談

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悪党たちの中華帝国

『悪党たちの中華帝国』

著者
岡本, 隆司, 1965-
出版社
新潮社
ISBN
9784106038884
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

悪党たちの大英帝国

『悪党たちの大英帝国』

著者
君塚, 直隆, 1967-
出版社
新潮社
ISBN
9784106038587
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

【特別対談】岡本隆司×君塚直隆 中国とイギリス――今も生きる「帝国」と「悪党」たち(中)

[文] 新潮社


中国は乾隆帝時代の版図で収まるのか?(写真はイメージ)

「チャイニーズ・ドリーム」「中華民族の復興」などのスローガンを掲げ、新疆ウイグル自治区や香港を強引に同化しようとする中国。はたして台湾はどうなるのか? 中国はどこまで領土を拡大するつもりなのか?

今回、『悪党たちの中華帝国』を刊行した中国史研究者の岡本隆司さんと、イギリス史が専門で『悪党たちの大英帝国』の著者である君塚直隆さんが、「帝国」と「悪党」という2つのキーワードを軸に、王朝という概念や中国の先行きについて語り合った。

(上)「『プーチンのロジックもおそらく同じ…』――ロシア、中国を隣国侵攻へと駆り立てる危険すぎる『帝国の論理』」から続きます)

西洋的「帝国」概念にあてはまらない中国

君塚直隆 今回のご著書(『悪党たちの中華帝国』)では、冒頭で「帝国」という概念について詳しく説明されていますね。

岡本隆司 我々がふだん使っている日本語の「帝国」という概念は、西洋から入って翻訳された「帝国」です。その概念では中国は連綿として帝国なのですが、実は中国が自らを「帝国」と名乗ってきたわけではありません。

 近代になって、日本語の「帝国」が中国語化されて、1915年末からの数カ月、ごく短期間ながら袁世凱を皇帝とする「中華帝国(Empire of China)」という国号を称した時期もありました。しかし、歴史家の目で見ると、「帝国」という言葉はオリジナルの漢語にはない。

君塚 そうみたいですね。

岡本 そもそも、中国の天子が「帝国」と自称するのは自家撞着です。中国が治める世界に「国」という限定的な概念はありませんし、ないからこそ天下を統べる「皇帝」を戴くのです。そんな中国を「帝国」と呼ぶのは本来とてもおかしい話です。「帝国」は非常に西洋的な概念ですから、中国史を研究する以上は、なかなか「帝国」と名乗れないところもあります。ですから、そのあたりの事情を、今回の本の「はじめに」で詳しく説明させていただきました。

君塚 やはり中国では「王朝」と言った方がわかりやすいのでしょうか。

岡本 そうですね。だから私は「明朝」「清朝」と呼んでいます。

君塚 中国の場合は、王朝が殷・周の時代から連綿として続いてきました。王朝そのものは易姓革命で交代していきますが、しかしその文化や精神が引き継がれていく。

 これに比べると、ヨーロッパなどは歴史が全然浅いですね。イギリスにしても、せいぜい7~8世紀あたりまでしか遡れない。では受け継ぐべき文明文化はどうなのかというと、結局はギリシャやローマから借りているわけです。紀元前7、8世紀以降のギリシャとか、紀元前後のローマ帝国を起源とした文化文明です。

 これが背景にあるからか、イギリスにしてもフランスのナポレオンにしても、ギリシャ・ローマやエジプトの遺物を自国に持ってきてしまったりしますね。ある種の文化的帝国主義というものでしょうか。

 しかし中国の場合はその必要がない。もちろん漢民族以外の民族が王朝を建てたこともありますが、それでも中華の華夷秩序の中で文明文化が続いてきた。特に、中国の場合、中心地がそれほど動いてませんよね。

岡本 細かく見れば、長安とか洛陽とか、実は結構動いているんですよ。北京などは本当に最果ての地ですし。

 でも中国は、中心地が動いていないような顔をしています。このあたりがヨーロッパと違って、国――ネイションとかステート――という形ではなかったということにもつながります。どこまでいっても「王朝」であり、「国家」とか「帝国」ではなく「天下」でしかないのが中国のありようなのです。だいたい「中国」の「国」とは単に場所というだけの意味で、「中国」を「中原」とか「中華」と言い換えても意味は通じるわけですから。

 ところが19世紀から20世紀にかけて、アメリカあたりで「インペリアル・チャイナ」(帝政中国)という概念が使われはじめた。この言葉は、当時は清朝皇帝や清朝のことをそう呼んでいただけにすぎなかった。

 ただ、これが後に学術用語になっていくと、「インペリアル・チャイナ」とは皇帝を戴いている中国の歴代王朝全般を指す、というふうに意味が拡大してしまったんですね。そして、「インペリアル・チャイナ」に対して「モダン・チャイナ」「コンテンポラリー・チャイナ」という用語が生まれてくると、それに乗っかっていく形で中国語でも「中華帝国」という言葉が使われるようになりました。

「チャイニーズ・ドリーム」は「乾隆帝」で収まるのか


晩年の乾隆帝

君塚 中華人民共和国は、清の乾隆帝が築いた領土とほぼ同じ大きさですよね。

岡本 そうですね。新疆征服で最後のピースが入ったという形なので、現代中国の領土は乾隆帝時代の版図ということになるのでしょう。

 そして中国共産党は、何とかして「天下」から「ネーションステート」に脱皮しようとあがいている。「チャイニーズ・ドリーム」とか「中華民族の復興」と言いつつ、新疆という「自治区」を強引に同化しようとしている。

 同化のバリエーションとして、香港における「一国二制度」があったはずなのですが、これも結局香港と共産党とではあまりに方向性が違い過ぎて、事実上香港を一方的に接収したような形になってしまった。

 台湾はどうなるか。一度は日本に割譲され、その後戻ってはきたのですが、国民党が入って自治区とも違う存在となっている。中国にとっては剣呑な場所なのですが、それでも統一することこそが、「中国の夢」ということになるわけです。

 そもそも、国民党も共産党もその生い立ちを見れば、いずれもソ連のボルシェビキの影響を大きく受けていますし、どちらも独裁体制だった。だから蒋介石が健在の頃は、変な言い方ですが、話が通じ合っていました。思い切り対立はしていましたが、言っていることは同じ。近親憎悪なんですよ。

 ところが今は、国民党は前世紀の遺物のように生き残ってはいるものの、台湾自体は民主的な体制がしっかり根付いた。つまり中国とは話が通じなくなってきたわけで、これが大陸の共産党にとってはとても困った事態になっている。

 だから、台湾を「自治区」という形で統合できるわけでもなく、「一国二制度」という形も香港でひどい失敗をしたことを考えると、中国の打つ手はとても難しいものになりますね。ロシアのウクライナ侵攻のように武力に頼るのもリスクが大きすぎますし、ひょっとすると中国はかなり戸惑っているのかもしれません。

 このことをアメリカがどこまで理解した上で台湾問題にコミットしようとしているのか、よくわからないところです。

 さらにこの先中国がどこまで勢力圏を広げていくのかも気になります。かつての朝貢国や周縁部、たとえば朝鮮半島や南シナ海方面に進出していくのか。また中国は尖閣諸島はもちろん、沖縄(琉球)も日本だと認めていなかったりするので、我々もまったく安心できません。さらに方向を転じると、インドとの国境紛争もあります。

 こう考えると、現在の中国がかつての乾隆帝の版図で収まるのかと言うと、どうも難しいのかな、と思います。

君塚 ヨーロッパからすると、朝貢とか冊封という概念がなかなか理解できないんです。そういうシステムがないですからね。ローマでさえもそういう感覚はなかったでしょう。

岡本 「トリビュート」という言葉を当てて、異邦人が奇怪なことをしているみたいな感じで受け止めているみたいですね。

君塚 神聖ローマ帝国の皇帝が、プロイセンの国王を許可するとか、ポーランド王になることを許すとか言った、エンペラーがキングの位を与えるという仕組みは、確かにありましたけれども、これは中華の制度とは全然違いますからね。

岡本 ですから、東洋史家の岡田英弘先生がおっしゃっているように、「Emperor」を「皇帝」と訳したのは誤訳だったのかもしれません。そもそもこの2つの概念は全然違うものですから。

 ただ、こうした誤訳や概念のすれ違いも含めてすでに歴史化されてしまい、それが現実に影響を与えて、今の国際情勢が出来上がってしまっている。君塚先生の『悪党たちの大英帝国』と、今回の私の本を読み比べていただければ、西欧と中国がなぜすれ違ってしまうのか、よくわかるのではないかと思います。

 ***

(下)「『本当は悪党なのに、名君として扱われているのが腑に落ちない』 歴史家が『偽善者』と批判した中国史の英雄とは?」につづく

新潮社 Foresight
2022年8月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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