直木賞候補作家と現役医師作家 介護と医療の「現場」を描きぬいた2作

レビュー

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介護者D = caregiver D

『介護者D = caregiver D』

著者
河﨑, 秋子, 1979-
出版社
朝日新聞出版
ISBN
9784022518552
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

レッドゾーン

『レッドゾーン』

著者
夏川, 草介
出版社
小学館
ISBN
9784093866477
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 医療・介護]『介護者D』河崎秋子/『レッドゾーン』夏川草介

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

『介護者D』(朝日新聞出版)は、河崎秋子が新境地を拓いた長篇である。前作『絞め殺しの樹』(小学館)は直木賞候補になった。河崎はこれまで故郷である北海道の歴史と風土を背景とした物語を書き続けてきたが、本作の趣きは少し異なる。

 東京で生活する三十歳の猿渡琴美は、派遣社員として働いている。その琴美に、札幌で一人暮らしをする父の義純から「雪かきに来てくれないか」というメールが届いた。義純は介護が必要な状態だが、五年前に母の今日子は交通事故に遭って亡くなっている。何もかも他人に任せるのは嫌だ、と言い張る義純に負け、琴美は実家へと戻った。父を介護するためだ。

 義純の世話は特に辛いものではないが、閉じた環境の中で、琴美は緩やかに窒息していく。愛犬の具合が悪くて父と病院へ車で向かうとき、彼女は「ここで事故って二人と一匹で死んだなら、いちばん馬鹿で奇麗な終わり方だな」と一瞬思うのである。アイドルの『ゆな』だけが心の支えだ。いわゆる〈推し〉とつながっているという想像だけが、彼女を外の社会に接続させる。

 介護される側である父親との関係が軸となって話は動いていくが、義純と自分に意外な共通点があることに琴美が気づく終盤など、家族という関係性を見直す鍵になる場面が随所にある。介護という切り口を用いて、河崎は現代人の孤独な心を描いた。

 夏川草介は現役医師兼業の作家だ。新作『レッドゾーン』(小学館)は、新型コロナウイルス流行の現実を、地方病院勤務医の視点から綴った作品である。作者自身、現在もコロナ感染症指定医療機関に勤務し、患者と向き合う日々が続いているという。

 二〇二〇年二月から四月の状況が、視点人物を変えながら全三話で描かれていく。

 第一話「レッドゾーン」では、横浜に入港したクルーズ船で感染者が発生した後、長野県の信濃山病院が受け入れを開始するまでが描かれる。肝臓専門医の日進義信はその職務に就く前に、死後についての指示書を妻に遺す。「院内一の臆病者」と自称する日進は「どうも立派なお医者さんが周りに多くてね」と苦笑しつつ、何が起きるかわからない医療の現場に向かうのである。

 新型コロナウイルスに関する情報は錯綜し、混乱が恐怖を煽り立てた。内科部長の三笠はそれを「沈黙の壁」によって実態が見えなくなっている状況だと称する。隔絶した状況下で危険を冒して医療行為を続けることの重圧は想像を絶するものがある。それを当事者に語らせる小説なのだ。医療現場の現実を描くことを一貫して続けてきた作家ならではの作品だと思う。

 ウイルスの流行が始まったころ、カミュの『ペスト』がベストセラーになったことは記憶に新しい。同書にも言及しつつ、消化器内科医の敷島寛治はある発言をする。普遍的な倫理観を表したものとして、胸に長くとどめておきたい言葉である。

新潮社 小説新潮
2022年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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