人間とは、戦争とは―復刻された戦争ノン・フィクションの名作

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人間とは、戦争とは―復刻された戦争ノン・フィクションの名作

[レビュアー] 等松春夫(防衛大学校国際関係学科教授)

 太平洋戦争の終結から77年、戦場の苛烈な実態を知る人々の大半が鬼籍に入った。その戦争では東南アジアで日英が激突した。これが北イングランドの小さな町で育った若者の運命を変える。若者はロンドン大学に設けられた日本語特訓コースを修了し、戦争末期に情報将校としてビルマ戦線に従軍した。その頃インパール作戦で大敗した日本軍は、英軍に追撃されて悲惨な退却を続けていた。若者は情報分析に手腕を振るい、英軍の勝利に貢献する。やがて1945年8月15日が来た。日本のビルマ方面軍から派遣された降伏軍使を出迎え、最初に日本語で呼びかけたのがこの若者、23歳のルイ・リービー中尉であった。彼はまさに日本軍が銃をおいた日にその現場に居たのである。

「戦争を始めるのはたやすいが、終わらせるのは難しい」。ビルマを奪還し、東南アジア各地に進駐しつつあった英軍はこの言葉を噛みしめたに違いない。70万名の日本軍の武装解除、占領地の治安回復と民生復興に加え、各地で燃え上がる反植民地ナショナリズムにも対処せねばならなかった。インドでは1942年以降国民会議派の指導による「インドを出ていけ」運動で全土に反英運動が広まり、フィリピンとビルマでは1943年に日本の承認のもと独立国家が誕生。1945年春、日本はインドシナでフランス植民地政府を解体し、ベトナム、カンボジア、ラオスが独立を宣言、8月にはオランダ領東インド(現インドネシア)の独立も日程に上っていた。1945年夏、大日本帝国の置き土産として東南アジアの非植民地化と独立は所与の前提となっていた。そして日本の敗北は朝鮮半島、満州、中国本土でも巨大な変動を引き起こす。その後リービー中尉はインドシナに転属し、復帰を図るフランスと燃え盛るベトナム・ナショナリズムの衝突を目撃した。

 復員後に母方の姓を継いでルイ・アレンとなり、英国のダラム大学でフランス文学を講じた。しかし、アレンのもうひとつの顔は東南アジアで繰り広げられた日英戦争の語り部であった。『アーロン収容所』(1962)をめぐり、著者の会田雄次と論争もしている。アレンは1970年代前半までの研究蓄積に、若き日の体験も織り込みながら、大日本帝国の崩壊と西欧植民地支配の終焉がアジアにもたらした変動をダイナミックに描き出す。現場に居たがゆえの迫真性と、学究としての客観性が両立した秀逸なノン・フィクションである。戦争の記憶を風化させないための必読の一冊。

新潮社 週刊新潮
2022年10月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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