硫黄島を巡って過去と現在が自由に行き交う家族三代の物語

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水平線

『水平線』

著者
滝口 悠生 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103353140
発売日
2022/07/27
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

硫黄島を巡って過去と現在が自由に行き交う家族三代の物語

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 三代にわたる一族と周囲の人々を描いた長編小説だ。彼らは硫黄島に暮らしていたが、太平洋戦争が激化して強制疎開となり、親戚を頼って伊豆に渡り、民宿を営みながら戦後を生きていく。

 物語は島にいた世代の孫にあたる兄妹の語りではじまる。時は二〇二〇年。そこから硫黄島にいた母方の祖父母の時代へと時間を遡っていく、というような通常の小説が辿る進み方はしない。時間が前後するさまに最初は慣れないが、読み進むうちに、時計が示す時間の進行など、どうでもよくなってくる。語り手の口調のおもしろさに乗せられてしまうのだ。

 たとえば、兄には祖母の妹らしき女性からよくメールが届く。生きていれば九十四歳の人からメールが? 常識的にはあり得ない。一方、新型ウイルス感染が拡大し、不安な日常を送る妹には祖父の末の弟から携帯に電話がかかってくるようになる。どちらもユーモラスな口ぶりで当たり前のように語りかけてくるのだ。

 こうして語り手たちは自由自在にバトンを渡しながら、島での生活ぶりや彼らの呼吸していた空気、強制疎開の実態や、本土での苦労などを語っていく。

 一族のなかには現地徴用されてそのまま島で命を終えた若者もいた。悲惨な出来事だが、そうした戦争の過酷さが伝わってくるだけではない。水平線の彼方に海と空に押しつぶされたみたいに浮かぶ島影と、島暮しのたよりなさと、それゆえの愛おしさが、におい立つような自然描写とともに迫ってくるのだ。

 死者の声がいまの人に届くというのは、物語を進めるための着想ではなく、著者の思想なのである。「自分は自分じゃなくいつかどこかの誰かである」という確信を持ち、それを生み出す器である体に深い信頼と愛着を抱いている。本書の力強さはまさにそこにある。

新潮社 週刊新潮
2022年10月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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