『嫌いなら呼ぶなよ』
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<書評>嫌いなら呼ぶなよ 綿矢りさ 著
[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)
◆欲望に忠実な主人公たち
コロナ禍は私たちの心にどのような影を落としているのだろうか。いつもマスクをしないといけないわずらわしさ。絶えず頭のどこかで、感染することを恐れているストレス。一方で、顔の半分を隠すことができ、くだらない飲み会は消滅し、他人との間に距離を置きやすくなった。
人々は実は少し、生きたいように生きるようになったという面もあるのではないか。胸の底に潜む欲望を募らせ、あらわにし始めているようにも思えるのだ。
この短編集を読みながら、そんなことを考えていた。「正しさ」の攻撃にもめげず、自身の欲望に忠実な主人公たちの姿が鮮やかだったのだ。綿矢の軽快な筆は、コミカルに彼ら彼女らを描いていく。世間からは断罪されたり、後ろ指をさされたりされがちだが、ここに切実な真実があるように見えてくるのだ。
四編を収めている。主人公は男女さまざまだ。大学卒業後、広告代理店に勤めて二年目の女性は、プチ整形にはまる。人を見た目で判断する風潮を逆手に取って、自分が生きたいように生きようとするしたたかさが伝わってくる。
彼女は内面に深い虚無を抱えているのだが、それさえも笑い飛ばそうとする。この作品を読んでいると、今の時代のモヤモヤに確かに触れているような気がする。
表題作は不倫を糾弾される男性の話だ。妻の友人の新居祝いのパーティーに出かけると、突然に修羅場になる。妻の友人たちやその夫たちから、厳しく非難される。彼らの言葉は確かに正しい。しかし、その「正しさ」とは何なのだろう。主人公の心はさめている。殊勝に謝りながら、実は自分が置かれた光景を客観的に眺めている。「正義」を疑いなく口にする人々の厚顔さが、浮き彫りにされていく。
他の作品では、推しのユーチューバーにむやみに接近する女性がいたり、作家とライターにはさまれて困惑する若い男性編集者がいたり。誰もが自分の存在意味をまさぐりながら、うろうろしている。作者本来のシニカルさが鋭さを増してきた。
(河出書房新社・1540円)
1984年生まれ。作家。2004年『蹴りたい背中』が史上最年少で芥川賞。
◆もう1冊
綿矢りさ著『夢を与える』(河出文庫)。読み返したくなる初期長編。