『小さなことばたちの辞書』
- 著者
- ピップ・ウィリアムズ [著]/最所 篤子 [訳]
- 出版社
- 小学館
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784093567350
- 発売日
- 2022/09/27
- 価格
- 3,300円(税込)
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影の存在だった女性辞書編纂者 その足跡をたどった歴史大河小説
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
愛すべき“辞書文学”に、もう一つ秀作がくわわった。英語辞書では『ウェブスター英語辞典』と双璧と言われる『オックスフォード英語大辞典』(OED)の編纂室をモデルにした大河小説である。第一次大戦と女性参政権運動が背景にある。
OEDの編纂室は、十九世紀末に「英語のすべてを記録する」という遠大にして網羅的な計画として立ちあげられた。ところが、この小説の作者はあるとき、辞書作りというのがきわめて男性中心の事業であることに気づく。語の採録に偏りがあるのではないか。同辞書の編纂に甚大な助力を提供した女性の「補佐」たちの存在を突き止めて足跡をたどり、小説化したのが本作だ。おもしろくないわけがない。
主人公エズメは幼いころに母を亡くし、父の職場であるOED編纂室を遊び場にしていた。そこである日、「ボンドメイド」(無償で働かされる女奴隷、はしため)という単語カードが捨てられているのを見つけ、そうした迷子のことばを集めるようになる。
身分の低い女性が使うことばは辞書に入らない。エズメは女中が使う「ナッカード」(主人たちのために働いてバテバテになった状態)の用例を記録する。そうして聡い耳をそばだて、「カント」という侮蔑語も採取する。しかし、「八百屋のスミス氏が話していたという用例では、不十分」だと父は言う。
時代の煽りで否定的な意味を帯びた単語もある。「シスターフッド」だ。女性参政権運動への参加者を表現した「金切り声を上げる女たちの連帯(シュリーキング・シスターフッド)」という新聞の用例があげられる。今日び、woke(目覚めた)という語が意識高い系を揶揄するのに使われるのと似ているだろう。
逆に、「ボンドメイド」が人間関係のなかで意味の上昇をとげるいきさつには胸が熱くなる。さて、「カント」はOED入りを果たすだろうか?
やはり、ことばは現場で動いているのだ。ことばマニアにもお勧め。