母は植物人間。娘のたどり着いた感動的な“正解”
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)
朝比奈秋「植物少女」(小説トリッパー秋季号)が、今月といわず、本年度の作品の中でも出色である。
主題は「母と娘」。ありきたりそうだが特異な点が一つ。母は植物人間なのだ。
「わたし(美桜)」を出産した際、母は脳出血を起こし植物状態となった。
だから「わたし」にとって母は入院先の病院まで「会いに行く人物」であり、首は捻れて目には黒目が見えず、表情もなく声も発せず、「わたし」を抱きしめることもない、息をして生きているだけの「生身の人形」だった。
成長するにつれ「わたし」の母への接し方は変わっていく。母は生まれながらに植物人間だったという「わたし」の幼少からの思い込みは、父や祖母の話や動画などが伝えてくる、「たしかな意志と感情」を持つ健康な女性だった母の像と衝突する。
「生身の人形」という観念の修正を迫られた「わたし」は、母に対して虐待まがいの行為をするようになるのだが、自身に起こる、ある身体的な現象からふいに「母はかわいそうじゃない/みじめじゃない/空っぽなんかじゃない」と、「充実した今を生きている」存在であることを見出す。
この悟りはむろん「わたし」の独りよがりな解釈にすぎない。だが、意思疎通できない母に対して「わたし」が煩悶の末にたどり着いた答えという意味で疑う余地のない正解であり、それゆえに感動的である。
小池水音「息」(新潮10月号)も主題的に通じる部分のある佳作だった。「わたし」と弟は遺伝的に小児ぜんそくを患っていた。弟は20歳を目前に自殺し、一家、とりわけ現場に居合わせた父を不安定にする。イラストレーターである「わたし」は、夢に見る弟の姿を描こうとするが、10年にわたって描きあぐねる。逡巡は、弟の不在を受け入れるための葛藤を示唆する。
河出書房新社が『文藝』増刊として新雑誌『スピン』を創刊した。4年限定の季刊誌、全16号で完結と予告されており、小説はほぼ連載のみという時評泣かせのスタイル。異例な形態ながら発売後すぐに増刷がかかって、読者の注目度や期待は高いようである。