あの名作を直訳することで見える“不思議の国ニッポン”『怪談』円城塔インタビュー【お化け友の会通信 from 怪と幽】

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怪談

『怪談』

著者
ラフカディオ・ハーン [著]/円城 塔 [訳]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041126066
発売日
2022/09/28
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

あの名作を直訳することで見える〝不思議の国ニッポン〟『怪談』円城塔インタビュー【お化け友の会通信 from 怪と幽】

[文] カドブン

取材・文:門賀美央子
写真提供=新潮社

ギリシャで生まれ地球を半周して明治日本にたどり着いた小泉八雲。彼が遺した古典的名作『怪談』の、何度も訳出されるうちに見失われていた〝真価〞に気づいた円城塔が、新視点で翻訳した。言語学的冒険の書として蘇った『怪談』の魅力とは?

■日本のことが書かれているはずなのに、
原文だと「なんだ、このわけわかんねえ国」ってなる。

 小泉八雲/ラフカディオ・ハーンの『怪談』といえば、「耳なし芳一」や「むじな」など昔話でもおなじみの古い怪談を採録した、日本怪談文学の古典的作品だ。とはいえ、八雲が想定した読者は日本人ではなく、日本に興味を持つ欧米人だった。使用言語はもちろん英語。元ジャーナリストだった彼は来日後何冊もの日本紹介本を書いているが、『怪談』――原題『Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things』もそのうちの一冊だった。

「もう何年も前ですが、数カ月間サンフランシスコに滞在することになったんです。それで、到着する前にちょっと英語に慣れておこうと思い、飛行機の中で読み始めたのが『Kwaidan』でした。選択に大した理由はありませんでしたよ。よく覚えていないけれど、いきなりがっつりとした英語の本もつらいからなにかしら日本に関係があるものを、という感じで選んだのだと思います」

 ところが、英文で書かれた『Kwaidan』は、和訳された『怪談』とはずいぶん肌触りが違った。

「目次を見ていたら『JIKININKI』というタイトルが目に飛び込んできました。これ、漢字だと『食人鬼』なんですけど、アルファベットの並びだけではまず何かわからないですよね。他のタイトルはある程度わかったけれど、これだけは本当に『なに?』と見当もつきませんでした。そこでさっそく読み始めたら、いきなりMuso Kokushi って人が出てくるんですよ。『ムソ・コクシ? それ誰?』って。当時は飛行機内でWi – Fiを使えなかったので、空港に着いてからネットで調べて『夢窓国師』だとわかるまで、ずっと悶々としていました(笑)」

 他の物語も原文で読むと、訳文で読んだ時には感じなかったある種の〝奇妙さ〞が際立って迫ってきた。

「日本のことが書かれているはずなのに、原文だと『なんだ、このわけわかんねえ国』ってなる。この衝撃が一番大きかったです」

 そこで思いついた。「この衝撃」を、日本語を母語とする誰もが感じられるような翻訳ができないか、と。
 その結果生まれたのが、こんな訳文だった。

むかし、ゼン派の僧侶であるムソー・コクシがミノ地方をひとり旅する間、案内の者も見当たらない山地で道に迷ってしまった。(中略)アンジツと呼ばれる種類のその庵は、人を避けて暮らす僧侶のための建物である。(「ジキニンキ」より)

■無意識に漢字を使っている
改めて気づいた母語の呪縛

『Kwaidan』は明治37(1904)年に英米で上梓されて以降、複数の翻訳者によって繰り返し和訳されてきた。今でも岩波文庫から光文社古典新訳文庫まで、新旧幅広いレーベルに訳書が収められている。だが、円城新訳はそれらとは目的を異にする。

「最初期の翻訳はかなり直訳に近いのですが、訳出の回数が重なるにつれ、日本人が読んで自然に感じる和文に調整されていきました。だから、今回はあえて原点回帰的な直訳風の文体で訳すことにしたんです。読みやすくなったがゆえに忘れられてしまった真価もたくさんあるので、いったん思い出そうよ、と」

 円城訳最大の特徴は、八雲が日本語をローマ字で音写した部分は、すべてカタカナ表記にした点にある。
 たとえば、第1話のタイトル「THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI」は「耳なし芳一の話」と漢字交じりで訳されていたが、円城訳では「ミミ・ナシ・ホーイチの物語」になっている。

「原文ではMIMI-NASHI-HOICHI の意味は説明されないまま物語が進み、最後の最後になって『実はミミ・ナシ・ホーイチとはHoichi-the-Earless、耳のないホーイチという意味なんですよ』と明かされる構成になっています。ここに八雲の作家としての工夫があるわけですが、最初から漢字だとこの一文を活かせないわけです」

 また、作中に登場する俳句や古歌などもカタカナ表記だ。

「漢字交じりのひらがな文だと意味がすっと入ってくるのに、音だけを拾って読むと不思議な呪文のように感じます。お経の中にたまにサンスクリット語の音写が混ざると我々の耳には謎の呪文に聞こえますが、あれに近い効果がある。おそらく、ハーンにとっての日本語もそんな感じだったのではないかと思います。日本は、ハーンにとって、我々が思うよりもずっと〝異界〞だったのではないでしょうか。彼は日本語についてはごく簡単な読み書きしかできなかったので、書物は妻の節さんに音読してもらっていました。だから、音で聞いて強い印象を受けたものから再話していったのでは、と思うんです」

 ハーンの感覚を再現すべく採用したカタカナ表記だったが、同時に母語の呪縛の強さを改めて認識するきっかけにもなった。

「かなり自覚的に作業をしていたつもりだったのに、それでも校閲の段階でいくつか漢字表記にしてしまっている部分があると指摘されました。一番驚いたのは『雪女』です。原文タイトルは『YUKIONNA』なので『ユキ・オンナ』としなきゃいけないのに、最初の原稿では全部『雪女』にしていたんですよ。ものすごく気をつけていたのに、まだダメでした。思い込みはテキストを読む時にすごく影響するとわかってはいたんですけど、やっぱりやらかしていたのにはびっくりでしたね」

■書かれた文字への不信感
書かれたモノとの距離感

 円城さんは、これまでいわゆる「実験的」と呼ばれる作品を多くものしてきた。今回の翻訳もそうした一連の流れの上にある。

「今回の訳出方法は完全に僕の趣味ではあります。僕には、言葉に対する気持ち悪さっていうのがずっとあるんですね。特に、〝書かれた文字〞に対する気持ち悪さが強い。〝書かれた文字〞は意味をクリアに伝えると考えられていますが、そうでもないよね、って。テキストへの不信感があるんです。ハーンだって、自分の著書は日本の姿をクリアに伝えているものと思っていたはずですが、でもやはり食い違いがある。そういうのが僕の感じる〝おもしろさ〞なんですよ。僕は結局、テキストレベル/スクリプトレベルに目が行ってしまうんでしょう。それが一番性に合うというか。読んだ時に脳裏に浮かぶ光景や、登場人物の心情などにはあまり関心がなく、かといってフォントなどにも興味は向かず、〝書かれている〞という現象だけが気になるタイプなんです。同じことを書いているのに、漢字交じりとカタカナではどうしてこんなに印象が異なるのだろう、とか、縦書きと横書きではなぜ受ける印象が違うんだろう、とか、そういうのが常時気になっている。……どうしてなんでしょうね? たぶん、主に性格の問題だと思うんですけど(笑)」

 当時の欧米人が感じたであろう「日本」への違和感。それは、21世紀に生きる私たちも同じように感得できるはずだと円城さんは言う。

「明治時代のアメリカと日本、118年前の日本と今の日本。地理と時間という差はあるけれども文化の距離感は同じぐらいじゃないかと思うんです。明治日本と我々はそれぐらい離れてしまった」

 文明開化によって急激な欧米化が進む最中の日本に住み、失われつつある古き良き時代を愛した異国人と、〝日本の原風景〞にノスタルジーを感じる今の私たちの感性は似ているのかもしれない。

「いずれにせよ、海の外から見た日本が、自分たちのイメージする日本とは全く違う国であることはもっと自覚した方がいいと思います。少なくとも八雲にはこんなふうに見えていたけど、今だってきっと海の外からは異界に見える。日本っておかしな国なんだろうけど、でもそれはどの国も同じで、住んでいる限り自覚はできない。僕たちが他国を見る際にも同じようなズレがあるはずです。そのズレがないかのようにふるまうのはいいが、ないと信じ込むのはまずい。だから、そういう視点を自分に導入するのは大事なのに、自力ではなかなかできないんですよ。けれども海の向こうの視点を通すと、自分が想像もしていなかったものが普通に見えてくる。こうした体験はとても大事だと思います」

 よく知っているはずの母国が、〝不思議の国ニッポン〞に変容する。円城塔訳『怪談』は、滅多にできないそんな体験をさせてくれる、稀有な書なのだ。

※「ダ・ヴィンチ」2022年11月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載

■プロフィール

あの名作を直訳することで見える〝不思議の国ニッポン〟『怪談』円城塔インタビ...
あの名作を直訳することで見える〝不思議の国ニッポン〟『怪談』円城塔インタビ…

えんじょう・とう●1972年、北海道生まれ。2007年「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞受賞、12年「道化師の蝶」で芥川賞、『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著)で日本SF大賞特別賞と翌13年に星雲賞日本長編部門、17年「文字渦」で川端康成文学賞、18年『文字渦』で日本SF大賞など受賞多数。著書に『Self-Reference ENGINE』『ゴジラS.P』など。

■書籍紹介

あの名作を直訳することで見える〝不思議の国ニッポン〟『怪談』円城塔インタビ...
あの名作を直訳することで見える〝不思議の国ニッポン〟『怪談』円城塔インタビ…

『怪談』
ラフカディオ・ハーン:著 
円城 塔:訳
KADOKAWA 2200円(税込)

ギリシャ生まれのアイルランド系イギリス人で、日本に帰化した小泉八雲が、1904年に米英で刊行した書を円城塔が新訳。「怪談」と「虫の研究」の2パートに分かれ、前者には再話された怪談小説が17話、後者には蝶・蚊・蟻をテーマにした随想録3編が収められている。
https://www.kadokawa.co.jp/product/322202000842/

あの名作を直訳することで見える〝不思議の国ニッポン〟『怪談』円城塔インタビ...
あの名作を直訳することで見える〝不思議の国ニッポン〟『怪談』円城塔インタビ…

『怪と幽』vol.011
KADOKAWA 1980円(税込)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322102000144/

●第一特集
悪魔くんを求め訴えたり 水木しげる生誕100年
【シリーズ解説】京極夏彦
【対談】佐野史郎×久坂部 羊
【インタビュー】鏡 リュウジ、佐藤順一
【寄稿】呉 智英、朝松 健、イトウユウ、廣田龍平

●第二特集
営繕かるかや怪異譚
【対談】小野不由美×加藤和恵
【インタビュー】漆原友紀
【ガイド】朝宮運河

●小説 京極夏彦、小野不由美、澤村伊智、内藤 了、和嶋慎治
●漫画 諸星大二郎、高橋葉介、押切蓮介 ほか

KADOKAWA カドブン
2022年10月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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